レオナルド・ダ・ヴィンツィ

《最後の晩餐》






画家自身の人生と同じく、今もって謎が多い作品。

オリジナルの絵に使われた画材の経年変質や、彼の死後「補修」という名のもとに塗り重ねられた色…
世界史に残るこの名作の本来の姿がどんなものだったか、ずっと研究が続けられているそう。

何層にも塗り重ねられた絵の具を透かしてみると、
今は地味なトーンになっている色合いが、完成直後は鮮やかな彩りで、テーブルクロスには花柄が描かれていた…とか。



どうやら今では完成当時とは全く印象が変わってしまっているらしいこの絵は、
でも、500年以上が経った今でも見る人の心を(少なくとも、ぼくの心を)掴んで離さない。









なぜだと思いますか?






















芸術は昇華する。

モーツァルトの音楽も。
レオナルド・ダ・ヴィンツィの絵も。

ビートルズの音楽だってそう。





芸術作品の「装い」は、流行りの格好をしてる。
モーツァルトは宮廷音楽、ビートルズはロックンロール。


アーティストたちが生きた時代の「語法(スタイル、体裁)」で、作品は描かれる。
だから、同時代を生きた人(リアルタイム)にこそ理解できる「語法」はあるよね。


だけど、時間の経過はその「装い」を削ぎ落とす。
《最後の晩餐》が、鮮やかだった色は落ち、描かれていた流行りの模様も完全に消えて見えなくなってしまったように。









レオナルドが亡くなって500年。
モーツァルトが亡くなって220年。


彼らの作品がかつて身にまとっていた、彼らの作品が「ウケた」理由(売り)ですらあった「装い(当時の流行り)」は、今を生きるぼくらにとっては、もはや何の意味も持たない。

ぼくらは今、時の試練に耐えた「裸の」剥き出しの彼らの作品にふれ、そして感動する。
彼らの「語法」はすでに過去のものになっているのに。


時間の経過が、作品の真価…外面を削ぎ落としてなお価値を持つ作品であるということを証明したんだね。





すごいことだと思う。

考え方によっては、彼らと同時代の人が出来なかった方法で彼らの作品・才能に触れられるんだから。
ひょっとすると、当時の多くの芸術愛好家が「流行りだから」と言いながら彼らの作品に与えた「いいねグッド!」とはまったく違う「いいねグッド!」が、ぼくらには出来るのかもしれない。









作り手は、タイムカプセルのように、彼らの才能を作品に閉じ込め、ときに届かぬ思いや秘めた思いを作品に込め…

…数百年後のぼくらは、彼らがなにを作品に埋め込んだのか、(たとえ詳細を知るすべがなくても)そこから感じ取ろうとする…そしてそれができる。幸せなことに。



だから芸術は不滅だと思う。