小さな子供って、よく質問をしますよね
なぜお空は青いの?
赤ちゃんはなぜ生まれるの?
なぜ雨が降るの?
とか。
でも大人って、そういうことは普段考えませんよね。
そんなこといちいち気にしてたら何もできなくなるし、考えたってどうしようもないことがあるって「知ってる」から、そんな質問は大人になる前にみんなしなくなる。
でも、そういうシンプルで初歩的な疑問こそ、最も深淵で、本質をえぐる質問だったりしませんか?
ぼくらはなぜ生まれたのか
ぼくらはなぜ生きているのか
ぼくらはどこへ行くのか
ぼくらが子供時代に置いてきた、シンプルで素朴な疑問こそ、人生の意味を問う深い問いだったりする。
どうやってお金を稼ぐか?
野菜はどこのスーパーが安いか?
どこに住んで、家賃はいくらか?
大人の会話でいつもテーマになるそういうことって、もちろんとっても大事なことで、それ抜きにしては生きていけないけど。
でもそれって、わりと「枝葉」のことだよね。
生きる「手段」を模索してるだけであって、それら「手段」は、生きる「意味」にするにはあまりにも貧弱。
もしその「手段」が「意味」になろうとしてたら、生きることが窮屈になったり退屈になったり、しかねないと思う。
結局、人生って、
あれができる、これもできる
あれを持ってる、これも持ってる
あれができない、これもできない
あれがない、これがない
ていうことよりも、
「なぜ」それをするのか
何のためにそれが必要なのか
そこがハッキリしてることが大事なんじゃないかな
そうしたら、何かがあるとかないとかが、
あまり大きな問題じゃなかったり
本当に必要なもの、そうでないものに気づいたり
満足できることが増えるんじゃないかなー
そう思うんです。
シンプルなことこそ、難しい。
「なぜ」という問い。
ハイ、若いモンが解ったような偉そうなコト言いました。ゴメンナサイ
なぜお空は青いの?
赤ちゃんはなぜ生まれるの?
なぜ雨が降るの?
とか。
でも大人って、そういうことは普段考えませんよね。
そんなこといちいち気にしてたら何もできなくなるし、考えたってどうしようもないことがあるって「知ってる」から、そんな質問は大人になる前にみんなしなくなる。
でも、そういうシンプルで初歩的な疑問こそ、最も深淵で、本質をえぐる質問だったりしませんか?
ぼくらはなぜ生まれたのか
ぼくらはなぜ生きているのか
ぼくらはどこへ行くのか
ぼくらが子供時代に置いてきた、シンプルで素朴な疑問こそ、人生の意味を問う深い問いだったりする。
どうやってお金を稼ぐか?
野菜はどこのスーパーが安いか?
どこに住んで、家賃はいくらか?
大人の会話でいつもテーマになるそういうことって、もちろんとっても大事なことで、それ抜きにしては生きていけないけど。
でもそれって、わりと「枝葉」のことだよね。
生きる「手段」を模索してるだけであって、それら「手段」は、生きる「意味」にするにはあまりにも貧弱。
もしその「手段」が「意味」になろうとしてたら、生きることが窮屈になったり退屈になったり、しかねないと思う。
結局、人生って、
あれができる、これもできる
あれを持ってる、これも持ってる
あれができない、これもできない
あれがない、これがない
ていうことよりも、
「なぜ」それをするのか
何のためにそれが必要なのか
そこがハッキリしてることが大事なんじゃないかな
そうしたら、何かがあるとかないとかが、
あまり大きな問題じゃなかったり
本当に必要なもの、そうでないものに気づいたり
満足できることが増えるんじゃないかなー
そう思うんです。
シンプルなことこそ、難しい。
「なぜ」という問い。
ハイ、若いモンが解ったような偉そうなコト言いました。ゴメンナサイ