「自分のやりたいことをやる」

今は、これができる時代になってきた。

 



幼いころ、

自分のやりたいことをやろうとする、

自己主張すると

 

わがまま

我慢しなさい

とオトナには注意され、

友達からは嫌われたりした。

 

自分が好きのようにはできなかった。

 

なんで、やってはいけないんだろう?

やらせてもらえないのだろう?

その中で、やってもいいこと(やらせてもらえる)もあった。

 

不思議でしょうがなかった。

 

その中から、やっても怒られないことを選んでやる

という処世術を学ぶ。

 

みんなと同じ

足並みを揃える

集団を乱さない

自分を失くす

 

ようになり、

 

同時に周りの状況を読み取り

相手が何を求めているかを察知する能力が育つ。

周りに迷惑がかからないように、自分一人でやっていこうとする。

 

そうなると、

空気を乱す人が嫌な存在となる。

自分勝手に自分の言い分を通そうとする人に腹が立つ。

 

私が我慢して

私が努力して

私が創ったものを

壊さないで

 

自分が我慢しているときは

相手にも我慢を強いるし、同じように厳格に守らせようとする。

 

だって、

私が我慢しているのだから

同じ我慢を要求する。

 

「自分に厳しく相手にも厳しく」だ。

 

これは自分も疲れるし、幸せではない。

生きていてもつまらない、面白くなかった。

生きているのが辛かった。

 

自分自身が壊れてしまった。

 

我慢、わがまま、自分勝手

 

自分の意見、自分の欲求、自分の意志

 

違いが分からなかった。

 



 

自分で考える時代

が来た

 

自分の声を聞く

魂の叫びを聞く

自分のやりたいことは何か

自分はどうしたいのか

自分に問いかけ

自分で答えを見出す。

 

もう、自分を作り変えて生きる必要がなくなった。

 

しかし、

長い間沁みついた習慣は、なかなか取り除けない。

自分の意見を出すまで時間がかかった。

 

自分の意見を持つことを許可するのに抵抗があった。

 

幼いころのあの自分に戻るだけなのに。

 

あの頃をやり直そう。

周りに合わせたり

空気を読んだり

面倒なことはせず

 

周りに迷惑をかけて生きていこう。

わがままでいいのだ。