更新記事がもうほぼ書き上がっているがその前に、寄り道して軽い話題をします。


今日は(日付は変わったが)冬至だった。


クリスマス小考で我が国の冬至儀礼を陰陽五行からの視点で書いたことだけど、

そもそも冬至は一年で一番夜が長くなる時。


電気などない昔のことだから子作りに精を出したことは容易に想像がつくが、日が短くなるのは太陽の力が弱くなることを意味した。

昔の人は、一年で一番夜が長いのを太陽の死と考え、そして次の日から日がだんだん延びて来るのを太陽の復活と考えた。

北欧ではその太陽の復活を祝い若しくは願い、太陽に届くように高いところ、つまり木の上とかに供物をくっつけたのがクリスマスツリーとなった。

正月に鏡餅の上にミカンを載せるのと訳は同じ。


つまり太陽崇拝や自然崇拝がその背景にある。


それが世界習俗的に見た冬至儀礼クリスマスである。


太陽崇拝があって寒い国、つまり春が待ち遠しい国ならどこでもやる。


そこに布教の為に乗っかったのがキリスト教である。

雪など降らない荒涼とした土地柄で生まれた地方宗教で、他の神を絶対認めない一神教原理主義のキリスト教がクリスマスをやるほうが可笑しいのである。


だからキリスト教徒でもない日本人がクリスマスをやるのは可笑しいというより、


キリスト教徒なのにクリスマスをやるほうが可笑しいのである。


だからイエス様の誕生日とかなんとか言って無理にこじつけなければならないのである。


マリア崇拝もキリスト教が侵略した国々の宗教を弾圧して、そこの女神にマリアをあてたのが始まり。

だがこれも異端視されてて、それまでは布教の為に黙認していたバチカンがマリア崇拝を認可したのもつい最近の話である。


私の知り合いに仏教系新興宗教に入ってるのがいるが、クリスマスはどう過ごしているのか?と聞いたら


友人「うちは仏教だからクリスマスはやらない」


私「でも、お前は常々伝統文化は大切だと言っていたよね?」


友人「でもクリスマスは仏教の伝統じゃないでしょ?」


私「では、お前の思ってる仏教の伝統とはなんだ?題目唱えるだけか?」


友人「・・・。いや、その、色々あるじゃん。お正月とか七五三とか・・・」


私「それは仏教の伝統じゃないでしょ!陰陽五行に基づく日本の伝統でしょ!」

友人「そうそう、それ!」

私「だったら冬至儀礼が日本の伝統であるんだからクリスマスやっても可笑しくないだろ!」


友人「そ、そうだよね!」

私「お前に子供が出来て、他の子がみんなクリスマスプレゼントをもらってるのに、お前はうちは仏教  だからといって自分の子供にプレゼントをやらないのか?だとしたら、お前の子供は仏教を大嫌いになるだろうな」


友人「・・・。」


私「自分の信じる宗教が正しくて他は全部間違ってるって考えを一神教的原理主義っていうんだ。そこ から宗教戦争が起こるんじゃないか?私が云いたいのは、つまらない事にこだわるなってことだよ。 お前が唱えてる題目の法華経にクリスマスやるなって書いてあるか?釈迦は法灯明・自灯明、つまり 教えと自分を拠り所としろって云ったんだよ。」


友人「・・・うん。」


私「サンタクロースが日本でウケがいいのは宗教とは関係ないからだろ?」


友人「あぁ、そうか」


私「分かったら奥さんにプレゼントを買ってやって、美味いものでも食いに行けよ。」


友人「そうだな、そうするわ!」



悩みがあって、救われたくって宗教に入って、また余計に悩む。


それが当人だけでなく周りの人も巻き込む。


こんなんじゃ、まったく意味がない。


これを自縄自縛と云う。


それは往々にして無知からくるのが多い。


やはり人生を楽しむ為には独善を廃して積極的に学んでいかなければならないと思う。


では、楽しいクリスマスをお過ごし下さい!





ドキドキγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞハートブレイク

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