◎いわゆる「宿曜占い」と「宿曜道」について


占いに興味の無い方はまったく時間の無駄になりますので無視してください^^

さて、長文になりますのでお茶とオヤツ、若しくはお酒の準備を^^


◎宿曜道について

まぁ、占いには大別して命占系と卜占系になるのはご存じだと思います。

命占系にしろ卜占系にしろ一長一短なので、双修するのが常道となってますね。

例えば命占系の四柱推命の大家であった阿部泰山は卜占系の六壬の大家でもありましたし、大概は四柱推命と周易或いは断易、気学或いは九星術と断易の組み合わせ等々、まぁ東洋占術はすべて易理と陰陽五行なので一つ出来ればあとは同じ原理なのでマスターするのがそんなに苦ではありませんね。

西洋占星術ではホラリーとネイタルですかね。

なかには四柱推命とタロットを組み合わせてる方もいますが^^

でもそれも結局は命占系と卜占系のお互いの欠点を補うためですから理に適ってるとは思います。

さて、宿曜占法は言うまでもなく命占系ですね。

そもそも占星術の源流は古代エジプト発生で、ルートの違いはあれど古代バビロニア、ギリシャと伝わりいわゆる古典西洋占星術となったとされてます。

宿曜占法は古代バビロニア、ギリシャ、インド、シナ経由で日本で発達しました。

なので西洋占星術とは兄弟みたいなもんです。

よく陰陽道と宿曜道との二大勢力で語られますが、実際は陰陽道側の暦に対する研究成果によって宿曜道は発達したといって良いでしょう。

宿曜占法の原典は「宿曜経」ですが、これが非常に悪訳・悪文で、しかも当の訳者も意味が分からないことも多いらしく、付属の暦も当時から使ってなかったそうです。

原典をお読みになられれば分かると思いますが占術体系としては「宿曜経」を根拠とする宿曜占法では非常に物足りなく、暦の上からも非常に心もとないものでした。

それもそのはずで、そもそもが密教経典に分類されると云うことは各種の密教行法をやるに相応しい日を決める「日占」だった訳で、個人の命理を占うのが専門って訳ではなかったからです。

そうした「宿曜経」ですが弘法大師請来以後、朝廷の陰陽寮と僧侶たちの研鑽の末に出来たのが「宿曜道」と云えるでしょう。

ですから宿曜経になるべく忠実になされた「宿曜占法」とさまざまなアレンジを加えた「宿曜道」とは厳密にはちょっと違うと思ってもらうほうが良いと思います。

詳しく言えば、当時(十世紀ごろ)のシナでは欽定暦を使っていましたが、傍系の符天暦を天台宗の日延さんが輸入しました。

符天暦はすでに伝わっていたのですが、これを作成できる人がいなかったため日延さんが学んできた訳ですね。

これはそれまで使っていた暦が宿曜に当てはまらず、符天暦の方がインド占星術からの採用か九曜星の運行を知ることができ、実星の観測に適していたためだと思われます。

この九曜星の根拠となる「梵天火羅九曜」は伝わっていたのですが、暦に適合出来ないのも問題でした。

つまり、この符天暦を日延さんが輸入した時からが宿曜道の始まりと云えましょう。

この符天暦は宿曜道の専売特許ではなく、日延さんが陰陽道の安倍晴明の師とも云われる賀茂保憲さんに伝えて、当時の陰陽寮が作成していた主流の宣明暦と符天暦で相互チェックするようなことが行われていたらしいです。

後に賀茂保憲さんは陰陽道の暦道をその子の賀茂光栄に、また天文道を安倍晴明に継がせた訳ですが安倍、賀茂両家の間でも作暦上の相違はあったようです。

その陰陽道界のスーパースター安倍晴明が書いたとされる「金烏玉兎集」には「文殊宿曜経」と云うのがありますが、これは弘法大師請来の「宿曜経」とは別で、陰陽道的見解で書かれた「宿曜経」と云えます。

現在、宿曜占法を行う人の殆どは「文殊宿曜経」の傍通暦によっています。

この陰陽道的宿曜占法の特徴は陰陽五行の理法を持って宿曜を説くことにあり、それが密教僧側にも逆輸入され仏教的解釈が付加され宿曜道の発展をもたらしました。

なので、宿曜占法は宿曜道の専門職である宿曜師たちが誕生する以前は朝廷が管轄する陰陽寮所属の官僚たちがその担い手であった訳です。

その後、符天暦を日延さんが東大寺の法蔵さんに伝え、この法蔵さんを中心に宿曜道が形成されていきました。

これは宿曜道の中心地が、比叡山や高野山、三井寺や東寺ではなく南都だったことになります。
当時の南都は空海以来かなり密教化されていたのが原因であると思います。

やがて京都圏の各本山にも伝わり、密教僧の間に宿曜道が広まって行きます。


◎宿曜道と陰陽道の盛衰

陰陽道には役所である陰陽寮があり、勢力は大きいものがありました。

陰陽頭の両家の一つ賀茂氏の暦道は後に勘解由小路家が担い手となりますが、江戸期に断絶したので暦道は安倍家が担うこととなりました。

その安倍家の天文道は安倍家の後身の土御門家が担っていたのですが、江戸幕府の天文方が陰陽寮の天文観測をしのぐようになるとその権威は失墜しました。

この失墜と同時に民間にも流出され、江戸時代には民間にも宿曜占法が流行りました。

なので、よく宿曜占法の説明で↓

「そのあまりの的中率の高さに江戸時代、 徳川幕府は宿曜占星術を封印してしまいました。」

と云うのがありますが、デタラメです。

その土御門家も明治維新に陰陽寮の廃絶によって滅亡します。

現在は天社土御門神道本庁として福井県にかろうじて残ってます。

↓参照
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A9%E7%A4%BE%E5%9C%9F%E5%BE%A1%E9%96%80%E7%A5%9E%E9%81%93&oldid=38410137

既に陰陽寮が滅亡した以上、国家公務員役職の「陰陽師」など存在しません。

なので現在「陰陽師」を名乗ってる人が多数いますが、ブームに便乗し勝手に名乗ってるだけのインチキです^^。

かろうじて許されるのは天社土御門神道本庁か、ここ出身の人だけでしょう。

岡山県に伝わる「いざなぎ流」の太夫さんたちも許されるかと思いますが今は割愛します。

一方、宿曜道はホロスコープがその真髄でしたが秘匿性が高く、それぞれその担い手たちが秘伝としたので徐々に衰退していくこととなり、やはり明治維新よって滅亡します。


◎占術隆盛の江戸期

江戸期は占術の百花繚乱の時代でした。

戦国乱世において占術は武器兵器の類でしたので秘伝性が高く民間に出回ることなんか有り得ませんでした。

他国の武将の弱点を見抜き、出陣の日取りを決める等、占術が大きな影響を与えました。
しかし、平和な江戸期に入ると秘伝にする必要がなくなり民間に出回り始めました。

これは何も宿曜占法だけでなく、九星術や易、陶宮術や遁甲等々もしかりです。

ちなみに九星術の範疇である命占、家相、方鑑、方位術等々を「九星気学」としてまとめたのが
大正期の園田真次郎さんで、「気学」は現在日本で一番有名な占いと云えるでしょう。


◎近代の二人の巨匠

二人の巨匠とは「星と真言密教」と「新訳 宿曜経」を著した岩原諦信師と、「密教占星法」を著した森田龍遷師です。

明治維新以降、すっかり廃れてしまった宿曜占法ですが、この二人の高野山大学教授が宿曜経を中心とした宿曜占法をもう一度興しました。

しかしこれは学術研究書なのでそのまんま占いで使えると云うことではありません。

また専門の密教僧が修法をするにあたって参考にするもので占術書と云うよりは密教の事相の書と云えます。


◎現在の宿曜占法と宿曜道

現在、宿曜占いブームの火付け役となったのが小峰有美子さん。

占い好きな女の子が宿曜占いを手軽に楽しめるようになったのも、通信教育で宿曜占法始めたのもこの小峰有美子さんです。

現在、宿曜師を名乗るその殆どの人がこの小峰さんの影響下にあるといって良いでしょう。

厳密には「宿曜師」は名乗れないハズですがそこはご愛嬌でしょう。

さて、この今は亡き小峰さんですが、プロフィールに

「昭和最後の宿曜道研究家といわれた井開天海師に師事、一子相伝の秘術であった「宿曜占星術」を伝授される。現在、密教宿曜占星術協会を主宰して空海秘伝の宿曜占星術の正統を今に伝えている」

とあります。

この小峰さんの師匠の井開天海さんは実は神道家で僧侶ではありません。

ですので独自に研究してた訳です。

「一子相伝の秘術」と云うことは有り得ません。

あるとすれば民間で、と言うことでしょう。

また、「空海秘伝の宿曜占星術」というのも本来有り得ません。

何故なら空海は修法をするのに宿曜経を参照してただけで宿曜占法は空海以後に発達したからです。

と、まぁ、細かいツッコミはこのくらいにして、一世を風靡した小峰流の宿曜占法を教えた師匠である井開天海さんのネタ元は何か?

井開天海さんの師匠は岡崎儀八郎と云う教派神道出身のやはり独自に宿曜占法を研究した人のようです。

ですから井開一門のネタ本は岡崎儀八郎の「通俗宿曜二十八宿奥義伝」となります。

題名を見てお分かりかと思いますが、通常の宿曜占法は二十七宿ですが、これは二十八宿を混在
させ口伝を聞かないと使えないようになってます。

岡崎・井開門派の秘伝とは、小峰さんの言い方でいえば「魔の一週間」ですが、これはホントに大したことないもので特に気にする必要のないものです。

ちなみに井開天海さんは当時帝国陸軍に所属しており、二・二六事件を的中させたので有名になった人です。

次に活躍してるのが上住 節子さん。

上住 節子さんのHP
http://www17.ocn.ne.jp/~aqua415/index.html

名門の浅草寺にて得度されてるので僧侶ですが、宿曜占の師の名前がないので多分独学だと思います。

多分、ネタ本は
岡崎儀八郎の「通俗宿曜二十八宿奥義伝」
脇田文昭の「宿曜経占の真伝」
岩原敬経の「宿曜経真伝」

それにインド占星術を加えたものかと推測されます。

次に現在人気なのは竹本光晴さん。

竹本光晴さんのHP↓
http://www.kosei-do.com/

宿曜占の説明のところで、またデタラメな説明^^をしていますがなかなか良心的なサイトであると思います。

この竹本さんの宿曜占法は、推測ですが上記の小峰本や上住本で学習し、西洋占星術を加えたものが竹本さんの宿曜占法であると思います。


◎宿曜占法の実際

宿曜占法の最大の魅力は性格占と相性占にあります。

しかし最大の欠点は個人の一生涯の運勢を俯瞰する命理占に非常に弱いところです。

なので術者の傍流の占いになってますね。

例えば、四柱推命を基本として相性は宿曜占法でみるとか、九星気学を基本として相性は宿曜占法とか。

実際、上住さんは算命占法と宿曜占法を掛け合わせてますし、竹本さんも宿曜占法の欠点を西洋占星術でカバーしているようですね。

つまり、これが現在の宿曜占法の限界、実際です。


◎現在の宿曜道

では現在、単純な宿曜占法ではなく、往時の体系だった宿曜道は学べないのか?

実はこの宿曜道の古文書を蒐集し、研究・研鑽を重ね往時の宿曜道を復刻した人が人がいます。
それが尊星王流(そんじょうおうりゅう)宿曜道宗家 羽田守快 師です。

羽田師は天台寺門宗本山布教師で、比叡山にも僧籍があり、宿曜師を多数輩出した三井寺の文書古文書や、比叡山の古文書が集められた叡山文庫に自由に出入りできる資格を持ってるのでそれが可能だったのでしょう。

ですから現在、宿曜道と呼べるものは羽田師の尊星王流宿曜道だけであり、その他はその殆どが小峰流か上住流の宿曜道ではなく宿曜占法であるといえるでしょう。

実際、現在出回ってる宿曜本の殆どが小峰流か上住流です。

この尊星王流宿曜道はこれまでの宿曜占法みたいに傍流の占いとするのではなく、本流にすることが出来るのが特徴です。

一生涯の運勢を俯瞰する命理占から、年運・月運・相性占から性格占、方位占、家相占等々、これまでの宿曜占法では無理だった分野までカバーされてます。

尊星王流宿曜道の奥伝では卜占まで出てきます。

もちろん二十七宿を用いてです。

現在、羽田師は三井寺、比叡山、高野山といった各本山でこの尊星王流宿曜道の伝授をされています。

尊星王流宿曜道を学ぼうとしたら↓
破門殺―密教占星法奥義 大凶運を覆す最強の宿曜道秘伝 (Esoterica Selection)/学習研究社

¥2,940
Amazon.co.jp

↑この本は羽田師の一番弟子の脇 長央さんが伝授を受けた講義録を基に著されたもので、監修が羽田師となってます。


しかし、この本が出版された後、小峰さんの流れや上住さんの流れの方々はかなり動揺が走ったようです(^_^)

私が今回、この記事を書くに当たって一番参考にしたのが↓
密教占星術大全 (エソテリカ・セレクション)/学習研究社

¥2,625
Amazon.co.jp

この本には目次をみてもらえば分かりますが、看命一掌金や天門八卦が書かれています。

特に江戸期には周易や断易と人気を二分した天門八卦が載っているのは嬉しかったです。

以上、簡単ではありましたが宿曜道について述べさせていただきました。

現在、南都のほうでも往時の宿曜道を復興しようという兆しが出ているそうです。

非常に楽しみです。

古代バビロニアから発祥し、遥か彼方の我が国で独自の発展を遂げた宿曜道。

太陽の運行を基に出来た西洋占星術。

月の運行を基に出来た宿曜道。

現代人にももう一度、古代人たちが見た星々を見上げてもらいたいと思います。

星に願いを込めて…。

合掌

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