(男体山の山頂にて)


私、山伏ですがめっちゃハタ・ヨーギンであります。


(え?何言ってるか分からない?w


ってことで今日はヨガネタで長くなるのでお茶かお酒の準備を(^^)



◎ハタ・ヨーガとトゥンコル


ハタ・ヨーギンとは「ハタ・ヨーガを行ずる者」の意ですが、ハタ・ヨーガとは簡単に言うと「太陽と月の和合」って意味です。


「ハタ・ヨーガ」と言う語の文献的な初出は8世紀頃に成立した「秘密集会(ひみつじゅうえ)タントラ 」とされています。


代表的な仏教の無上瑜伽タントラ経典は


・秘密集会タントラ(グヒヤサマージャ)

・幻化網タントラ(マハーマーヤー)

・呼金剛タントラ(ヘーヴァジュラ)

・勝楽タントラ(チャクラサンヴァラ)

・時輪タントラ(カーラチャクラ)


等々でこれらは8世紀〜11世紀に掛けて成立していて、ヒンドゥー・タントラは「秘密集会タントラ」の後に続々と成立していくそうなので「秘密集会タントラ」はタントラ自体の最初期のものになりますね。


(最後期に成立する時輪タントラの本尊)


そのインドの無上瑜伽タントラ群を全て輸入したチベットでは、同じく8世紀頃に成立した「ニダ・カジョル」(太陽と月の和合)がチベット式ヨガと言われているトゥンコルの1番古い文献だそうです。


この「ニダカジョル」を著したチベットの翻訳僧ヴァイローチャナさんはネパールのヨーギン、フムカラさんから伝授を受けたそうで、師資相承とは言うもののその当時かなり広範囲に渡ってハタ・ヨーガ或いはトゥンコルの原形が行われていたんですね。


インドに於ける実際のハタ・ヨーガはもうちょっと時代が下って1113世紀頃に書かれた「ハタ・ヨーガ」(失伝)、「ゴーラクシャ・シャタカ」を初期根本経典とし、著者でハタ・ヨーガの創始者とされるゴーラクシャナートさんはシヴァ派の人ですが仏教徒でもありました。


(ゴーラクシャナート)

ハタ・ヨーガの根本となる五つの代表的な経典は


1.ゴーラクシャ・シャタカ

2.シッダ・シッダーンタ・パダティ

3.ハタ・ヨーガ・プラディーピカー

4.ゲーランダ・サンヒター

5.シヴァ・サンヒター


で、12はゴーラクシャナートさんが書いたとされています。


このゴーラクさんは特に後期密教を学んだ方だったんでナーディーやチャクラ、クンダリニーと言った身体生理学(タントラ生理学)は無上瑜伽タントラ群をその根拠としており、同じようにトゥンコルもその身体生理学の根拠は無上瑜伽タントラなのでハタとトゥンコルは兄弟と言えます。


私のハタ・ヨーガの師である「ハートオブヨガ」提唱者マーク・ウィットウェルの直接の師匠であるTKV.デシカチャーの父、T.クリシュナマチャリヤ師はカイラスの麓マーナサローワル湖の洞窟でラマ・モハン・ブラフマチャリヤから8年に渡ってこのハタ・ヨーガを授かってます。


(マーナサロワール湖にたたずむマーク師)

私見ですが、上位カーストのバラモン出身者から忌み嫌われていたアウトカーストのチャンダーラ(不可触民)から起こったナータ派がメインのハタ・ヨーガを、上位カーストであったクリシュナマチャリヤ師がナータ派から教えを乞う訳にはいかないが、カーストに入らないラマなら教われたのでしょう。


それは後にクリシュナマチャリヤ師のスポンサーとなるマイソール藩王国の君主クリシュナ・ラージャ4世に請われて書いた師の著書「ヨーガ・マカランダ」にはハタの根拠をその参考文献「ヨーガ・ヤージュニャヴァルキヤ」に求めており、それは実際には12世紀頃(諸説あり)に書かれたものですが紀元前に書かれたとしていることでも分かります。


ヤージュニャヴァルキヤは紀元前750700年と紀元前の人ですので、12世紀頃の「ヨーガ・ヤージュニャヴァルキヤ」は彼に仮託されて書かれたものです。


王様の指南役と言う大役に際して、ハタに権威を持たせるためにバラモンの伝統にそもそも紀元前からハタの歴史があったとしたのか、ヤージュニャヴァルキヤが「ヨーガの王」とされているので単にハタ・ヨーガをヤージュニャヴァルキヤに帰しただけなのか分かりませんが、この事は文献学からしたら矛盾しているので後に西洋の学者たちの批判に晒されます。


しかし、師は大学教授でインド哲学やサンスクリットの専門家なのでそうするだけの根拠はあったであろうし、当時のハタに対する偏見上もやむを得ないことだと思いますし、修道論的には全くおかしなことではないと思います。


クリシュナマチャリヤ師の足跡を辿った映画「聖なる呼吸」を観た方も当時はハタに対してかなりの偏見があったことを師の娘さんやアイアンガーさんたちが証言してたのは印象深く思ったのではないでしょうか。


大切なことは王さまのお望みはご自身や王族たちの「身体の鍛錬法」でしたので、クリシュナマチャリヤ師はそれに「従った」のです。


同時にそもそもが墓場、若しくは死体捨て場であった尸林(シュマシャーナ)と呼ばれるところに居るダーキニーとかヨーギニーと呼ばれるチャンダリー(不可触民の女)の巫女、女性のサードゥであるサードウィーのグルたちにセックス・ヨーガの原形がある訳ですからハタは、と言うかタントラの原風景は女性たちがその担い手の一つであったので「女性性」が強いのが当然です。



またタントラはドラヴィダ系から発生しているとされ、アーリア系と違ってドラヴィダ系は母権社会が多いので当然本来は女性性が強いものです。


インドで聖者と崇められるラーマ・クリシュナのもとを訪れ彼にタントラを指導したシャクティ派の女性行者バイラヴィ・ブラフマーニーもこういった尸林出身のサードウィーなんでしょうね。


なので低カーストでしかも女が男のグルなんてありえない男尊女卑の強いバラモン系にとってハタは「下賤のヨーガ」でしかなかった訳で、セックス概念や女性性というのは抑圧されて来ました。


よく「ヨーガは本来男のものであった」と聞きますが、ことハタに関してはそんなことはない訳です。


クリシュナマチャリヤ師は当時、初めて女性にハタ・ヨーガを教えた人でしたがそれは画期的なことで、王様からの後押しがあったとは言え上記のようなことも関係してると思います。


(マイソール宮殿、ここでクリシュナマチャリヤ師は王族と同時に一般の人たちに指導した)

このハタ・ヨーガは本来は仏教タントラなので、ベースにはハ(太陽、男性原理)とタ(月、女性原理)の融合、21にしてそして0、つまり相待ち相反するモノの融合を通して空性(シュニャター)を悟る、或いは現前していることを自覚せしめんがためにある訳です。


チベット仏教カーギュ派の「ナーローの六法」と言う行法の一つに「チャンダリーの火」と言う有名な行法がありますが、実際の行法は1人で行うのですが、これもそもそもパートナーでありグルのチャンダリー(不可触民の女)とのセックスによって点じられた腹部の火のことであり、セックス・ヨーガがそもそもの原形で、それがハタではクンダリニーとなります。


ちなみにクンダリニーはムーラダーラにあるとされていますが、ハタの初期根本経典には腹部とあるそうです。


(サードゥ、女性の場合はサードウィー。写真は多分ナーガ・サードゥ)


以上書いて来たことは現在のアーサナを追求してる人たちからすると受け入れ難く拒絶感すら湧くと思いますが、チベット仏教を学ばれてる方たちからするとスンナリ首肯出来るかと思います。


その上で現在行われている「ハタヨガ」が代表的なハタの根本経典ではなく、何故「ヨーガ・スートラ」を根本に置くのかを見て行きましょう。



◎「ヨーガ・スートラ」が「近代ヨガ」のメインになったワケ


先ず「近代ヨガ」とは主にヨーロッパに伝わったアイアンガーさんの「アイアンガーヨガ」、そしてアメリカを中心に広がったパタビジョイスさんの「アシュタンガヨガ」、ハリウッドにヨガを伝えた女優のインドラデビさん、及びそこから派生したそれ以降の無数の流派を指して言うのが一般的です。


もっとも、「近代ヨガ」に定義がないので一概に言うことは出来ないし現在の形になるまでに多くの人が関わってるのでなるべく話が広がらないようにします。


その「近代ヨガ」を広めたアイアンガーさんやパタビジョイスさん、インドラデビさんたちの師匠がT.クリシュナマチャリヤ師なので「近代ヨガの父」と言われています。


はい、「ヨーガ・スートラ」の冒頭にヨーガの定義として


ヨーガとは心の作用を二ローダすることである」


とありますが、この二ローダはよく「止滅」と訳されますが、もう一つの意味があり「統御」です。


これは瞑想にはそもそも2つの流れがあったからで、厳密ではないですが分かり易く言えば


「ヨーガスートラ」=顕教=ヴェーダンタ他=止滅


ハタ・ヨーガ=密教=タントラ=統御


となりますが、バラモン出身系の人たちがハタを下賤に見ていた土壌がある事は上に記しました。


そんな中、1893年にシカゴで開催された万国宗教会議においてインドの窮状を訴え一躍世界から脚光を浴びた偉大なる指導者ヴィヴェーカーナンダさんが現れます。


そのヴィヴェーカーナンダさんは西洋的価値観の入ったイギリス植民地下の現代教育を受けて、19世紀末〜20世紀に入ってインド哲学諸派や文化をインドのそれでなく西洋の宗教、倫理、社会、政治的諸価値をヒンドゥー教に同化させたネオ・ヒンドゥイズムの立場からアメリカに渡り伝え、世界的に知られることになったのが「ヨーガスートラ」です。


しかし、ヨーガと言ってもヴィヴェーカーさんの言うヨーガとハタ・ヨーガとはナンダカンダ言ってもベースが違うんすね。


特にヴィヴェーカーナンダさんは「ハタヨーガは霊性の成長の役に立たないし我々と無関係」とまでハッキリ言ってますね。


また同時に「現世放棄」と「スピリチュアリティ」はインドの2つの偉大なる思想として、特にこの「スピリチュアリティ」とは西洋の物質主義、つまりマテリアリズムに対する対立概念として使用しました。


そこで物質的身体を扱うハタは彼にとって西洋に売り出すに値しなかった、とみたほうが良いでしょう。


むしろインドがイギリスの植民地されそうになった頃にそれに武器を持って抵抗したサドゥたち特にハタ・ヨーガを行ずるナータ派は西洋人たちには「野蛮人」としか思われてなかったので、そのイメージを払拭するためにも積極的にヨーガとハタを切り離しをしました。


そもそも「ヨーガ・スートラ」=ラージャ・ヨーガと定義されるのもヴィヴェーカーさん以降で、ヴィヴェーカーさんが書いた「ヨーガ・スートラ」の注釈書である「ラージャ・ヨーガ」は大ベストセラーとなり何度も版を重ねましたが、元々はそう言うヨーガがあるのではなくて簡単に言えば本来はヨーガに対する美称、若しくはハタ・ヨーガによって得られる境地を指した語でした。


しかしヴィヴェーカーナンダさんのお陰で「ヨーガ・スートラ」自体の世界へ向けての権威は高まり、その後当時のインドの事情でイギリスによる植民地支配からの解放、それに伴うナショナリズム、西洋に対抗するための国威発揚の模索、インドのアイディンティティーの確立、1896年アテネ・オリンピック開催とその後のスポーツの振興、ボディビルブームと言った時代的要請もあり諸外国のみならず、逆にインド国内の知識人や独立運動家、武力的闘士、従来のバラモン系のヨーガの伝え手(スワミとかナンダって言う人たち^^)たちと言った様々な人にそれは迎合されました。


ヴィヴェーカーナンダ



それは当然クリシュナマチャリヤ師も、またもう1人の「近代ヨガの父」的なスワミ・クヴァラヤーナンダさんにも受け入れられ「ヨーガ・スートラ」を基本に置きました。


このクヴァラヤーナンダさんが創設した、後にインド政府公認となるカイヴァルヤダーマ・ヨーガ研究所及び大学、アシュラムはこの新しい「近代ヨガ」の全インドへの布教に多大なる影響を与え瞬く間に広がりを見せます。


そして西洋の体操を取り入れ身体強化訓練的側面や健康法的側面が逆に「ヨーガ・スートラ」に権威付けられ、新しいインド国産体操の「近代ヨガ」が誕生する訳です。


そのインド国産体操「近代ヨガ」がインドで広がったと同時にハタに対する偏見も徐々に薄れ、ハタの根本経典も流派によってその理論的根拠として取り入れられて行くようになります。


そう言ったヴィヴェーカーナンダさんが作った土壌の上にスワミとかナンダって人たちがこぞって渡欧・渡米し様々なヨーガを伝え、またアメリカのヒッピームーブメントによって逆に西洋人たちがインドにヨーガを求め渡印し世界的にヨガが広がりを始めます。


大まかに言えばこの様な過程があって「近代ヨガ」は、アーサナ(ポーズ)がメインで教理面ではハタとは別系統だった止滅系の「ヨーガ・スートラ」が用いられるスタイルが主流となりました。


つまり世界へ向けてヨーガを教えた人たちは「タントラを奉じるナータ派」とは別のナンダとかスワミと名前に付く事から分かるように「ヴェーダーンタを奉じるバラモン」系出身だったのです。


こうして「ヨーガ・スートラ」のお陰でハタ・ヨーガは市民権を得て、ハタの基本的な教科書とされるようになりました。なのでタントラではなく「ヨーガ・スートラ」や「バガヴァット・ギーター」、そしてヴェーダーンタ哲学がその教理の中心となるワケです。


当然「アーサナをするのは本当のヨーガではない」とか言う人たちがいるのもそう言う理由です。


奉じるものが違えば伝えるものも違くなるのは当然ですね。


ちなみにクリシュナマチャリヤ師の弟子とされるアイアンガーさんは実際には数週間しか指導を受けておらず、独学で独自の理論を打ち立てて「アイアンガーヨガ」を作りました。


またアシュタンガ・ヴィンヤサ・システム・ヨガ(アシュタンガヨガ)のパタビジョイスさんはヴィンヤサシステムを継承しましたが、ヨガを広めるにあたってのデモンストレーションを担当してた方なので若い人向けの肉体鍛錬法的側面を主に伝授された方です。


クリシュナマチャリヤ師の息子さんのT.K.Vデシカチャー師のヴィニヨガはヨガの持つセラピー的側面をメインとして継承されました。


そしてバラモン系の伝統的権威主義、家父長的男性原理、その宗教やグルイズムの持つ因習固陋な慣習を排除してタントラの教えに還るべきだとし、本来のハタ・ヨーガの本質とは何かを伝えようとしてるのが我が師、「ハートオブヨガ」提唱者マーク・ウィットウェルです。


大まかに見ても以上のようにクリシュナマチャリヤ師は「100人いたら100通りのヨガがある」「正しいヨガは1人につき1つ」と言ったように人によって教えるヨーガが違ったんですね。


クヴァラヤーナンダさんのところは、そもそもこの方はカーストやその当時の風潮に拘らずハタを科学的多角的批判的に研究した方で「ヨーガ・スートラ」からハタ根本経典まで体系立ててシステム的に学べるようになってるようですね。


(映画「聖なる呼吸」)



◎ヨーガ・スートラと仏教


今はかなり緩和されましたが、当時(大乗やタントラ成立時)の仏教側にも同じことが言えて、戒律第一のタイやスリランカの上座部からすると大乗だのタントラだの持ってのほか!って感じでしょうね。


初期仏教から部派、大乗初期に掛けてヨーガと言えば止滅系でした。


19世紀後半から20世紀に掛けて「近代ヨガ」と結び付けられた本来はハタとは別の流れの、このサーンキヤ哲学をベースにして当時の瞑想の集大成として45世紀頃に成立した「ヨーガ・スートラ」と仏教は、そもそもお釈迦さまの故郷はカピラヴァストゥ(カピラの住む処)で、サーンキヤ学派を大成したカピラさんの名が付くぐらいサーンキヤ学派の影響が強く、また仏教の影響を多大に受けて「ヨーガ・スートラ」が成立したのでサーンキヤ学派のプルシャ、プラクリティと言った根本原理を立てない仏教とは決定的な違いはあるものの相互影響を与えていて初期仏教や部派仏教の瞑想に基本的スタンスは共通点も多いと思います。


もちろん「ヨーガスートラ」はサーンキヤ学派(二元論)ベースではありますが、ヴェーダーンタ学派的(一元論)にも解釈出来るし、タントラ的にも解釈出来き、その教理の開展説は後に仏教の瑜伽行唯識派の転変説として成立して行きますので教える人の立場によってどう扱うか変わりますね。ってかヨーガスートラの内容って仏教そのものだし(^^)


(ヨーガスートラの著者とされるパタンジャリ)



◎イスラム圏への伝播


この「ヨーガ・スートラ」や「ゴーラクシャ・シャタカ」等々のヨーガ、ハタ・ヨーガ文献群がアラビア語・ペルシャ語に十一世紀以降続々と翻訳され始めイスラム圏にも伝わり、タントラ経典群が上座部と同じ様に戒律に喧しいイスラム教のスーフィーたちにも行じられたのは対照的ですね。


昨今、インド政府が定めた「国際ヨガの日」にイスラム教徒たちが猛反発したのが話題になりましたが、同じイスラム教でもスーフィーたちは教義よりも神との合一と云う神秘体験のほうを重んじるので原理主義ではないし、しかもこのアラビア語・ペルシャ語に訳された経典群にはチベットやシナ、或いは東南アジアに伝わらなかった経典の宝庫となってるそうなのでスーフィーたちがタントラやヨーガをどのように取り入れ、また実践したのか今後の研究の成果が楽しみですね。



◎ルーシーダットン=セラピー


もっとも、その上座部の国タイにはタイ式ヨガとされる「ルーシーダットン 」(行者の整体)があります。


これは仏陀の主治医であったというシヴァカ・ゴーマラバットをその祖としてますが、いつ頃誰がタイに伝えたかそして具体的な方法論等々の文献がビルマ軍の侵攻によってタイの首都が陥落させられた時に失われ、元々の形が分からないものも多いそうです。


日本ルーシーダットン普及連盟代表の古谷暢基氏によるとルーシーダットンがタイに伝えられたのが 2,500 年前だそうです。


そのことが事実なら大乗仏教以前に何らかの身体操作を伴った技法が上座部には存在してたことになりますね。


しかし、では何故タイの僧侶たちは実践してなかったのかと言う疑問は残りますし、ルーシーダットンがタイで復興されたのはつい最近の話です。


また「セン」と言う概念が出てきますがこれはハタ・ヨーガに於けるナーディーと同じなので、ここら辺はタントラと言うよりアーユールヴェーダの伝統としてタイに入ったことが分かりますね。


しかしアーユールヴェーダと言ってもスシュルタ派(外科系)は大乗仏教の祖とされる龍樹菩薩が「スシュルタ・サンヒター」の注釈書を書いているので龍樹の論敵であった上座部には伝わりにくいと思いますので、同じく龍樹の論敵であったチャラカ派(内科系)の医療ではなかったかと、あまり詳しくないので単純に想像しております。


ただ古谷氏の主張が事実なら大乗仏教以前に伝わってるので関係ないのかもしれませんね。


ハタとの違いとしてはルーシーダットンは修行に疲れた行者(リシ)がその身体を自ら癒す目的で始まってるのでセラピー面が多く打ち出されてます。また、実際にやってみるとハタでは息を吐くところを吸うとなってたりするのが目立ってありましたね。


(ルーシーダットンのポーズ)



◎まとめ


ハタ・ヨーガはタントラに属するものです。


数年前に日本で唯一のボン教ゾクチェン伝承者、箱寺孝彦師からタントラに属する「九回浄化の呼吸法」や「ツァルンの瞑想」と言う呼吸をメインにした行法を伝授していただきました。


箱寺師のブログ「ゾクチェンのブログ



呼吸法のやり方自体はヨガ教室やヨガ講座でも普通に習う「ハタヨガ」の呼吸法に含まれるものとほぼ同じですが、質が全く違います。


どちらも詳細な観想(イメージ)を伴うものです。


この観想がなければただの深呼吸です。


想念を減らしていく止滅系と、想念を駆使する統御系との1番の違いは、この観想です。


しかし、現在の「ハタヨガ」でこの観想を用いた呼吸法なりアーサナなりを伝えてるところは少ないように思えます。


例えばアド・ムカ・シュヴァーナ・アーサナ(ダウンドッグ)の時に地面に踵が付くの付かないの言ってるのは、このアーサナを何故やるのかタントラ的な意味が分かってないからです。


その意図に反してヴィヴェーカーさんや「ヨーガ・スートラ」のお陰でハタは市民権を得ましたが、その担い手たちが本来はナータ派と敵対関係にあったヴェーダーンタを奉じるバラモン系であったためかタントラ的要素がゴッソリ抜け落ちて、ハタの本来の目的やタントラ生理学に基づく観想を用いた行法が疎かにされ、身体が固いの柔らかいの、痩せるの痩せないの、筋肉に効くの効かないの、解剖学がどうのに終始してる現在のヨガ界を見ると少し残念に思いますが、本来ハタは師資相承だったのでそれも仕方ないのかもしれません。


あのオウム真理教の忌まわしく凄惨な事件の影響でハタ・ヨーガやチベット仏教が怪しさの筆頭にされるほど印象的に大ダメージを受けましたが、近年のヨガブームでそれが払拭されました。


しかしヨガブームもそろそろ下火になりヨガ雑誌もネタ切れの中、ブームに流されないでハタを追求されてる勤勉な方々によって本来のハタが熱心に研究・実践されてるのも見受けられます。


そう言った意味でも今後の日本ヨガ界も楽しみではあります。



◎次いでに反論


最近たまたま観た動画で、あるヨガ団体を主宰してる輩が西洋の学者の本を鵜呑みにしたのか、自らの流派の正統性を訴えるために「クリシュナマチャリヤは西洋の体操をパクって」云々と批判していたが、パクる、とは「盗んだ」と言う意味です。


非常に悪意のある言い方です。


また、鬼の首でも取ったように「クリシュナマチャリヤによって、西洋式体操がヨーガに仕立て上げられた!」などと極端な主張を言ってる人が結構います。


私もクリシュナマチャリヤの血脈に連なる者ですし、この手の輩が多いのでちょっと反論しておきます。


クリシュナマチャリヤ師やクヴァラヤーナンダさん、有名なシヴァナンダさんたちは確かにナータ派と違ってバラモン系の方々です。


そしてクリシュナマチャリヤ師はスポーツマンであった王様の要望に応えて西洋の体操やインド武術の鍛錬法等々取り入れました。


しかし、殊にクリシュナマチャリヤ師はチベット僧であるモハン師からハタ・ヨーガを受け継ぎ、タントラに基づくそのヨーガはインド人でもなく況してバラモン系でもないマーク・ウィットウェル師に受け継がれ、そして今、私も受け継ぎました。


師資相承とは小手先の技術の継承ではなく、師の意志を受け継げるかどうかなのです。


その上で反論しますが、日本には世界に誇る「武道」があります。


柔道、剣道、合気道、弓道、等々、これらは明治にそもそもあった古来からの武術を基に公的法人である大日本武徳会がまとめたものです。


つまり「近代ヨガ」と同じく19世紀〜20世紀に掛けて出来たものです。


特に柔道はそもそも総合武術(刀、槍、薙刀、鎖鎌等々を含む)である柔術を基にルールを制定し、誰でも平等に出来るように危険性を極力排除し徐々に段位制と体重制を設けて出来たものです。


それを制定した中心人物はのちにオリンピック招致や日本の体育の振興に縦横無尽に活躍する「日本体育の父」、「柔道の父」と称される嘉納治五郎氏です。


剣道も独立した剣術流派や柔術の中の剣術を統合する形で制定されました。


すなわち日本の国産スポーツの誕生です。


(柔道の父、嘉納治五郎


当時の国威発揚の為、スポーツ振興のため、そして我が国の体育教育を進化させるために嘉納治五郎氏は西洋の文化を積極的に取り入れ、そして学校の体育教育に組み込めるようにして、後に日本国産スポーツである柔道や剣道等々は日本の国技となりました。


概括すると武道とは武術の面とスポーツの面がある訳です。


武道・武術面

       ・スポーツ(競技)面


このように大日本武徳会発足後に「武道」が制定されたとしたらまだ125年の歴史です。


空手道も沖縄から本州経由で世界に広まってまだ100年ぐらいです。


日本水泳もそもそも日本古来からの泳法の担い手たちが西洋の水泳を取り入れて出来たものです。


そして武術の名称も「武道」に公的に改称されるのは大正時代に入ってからです。


このスポーツ的側面だけを見て「武道は武術ではない」と言いますか?


それらが明治以降に制定されたものだからと言ってインチキなのでしょうか?


何かを導入したり取り入れたりすることが「パクる」(盗む)と言われるなら、日本の体育や柔道等々は西洋のスポーツを「パクって」出来たのでしょうか?


「武道」と言う名称は大正時代以前にはなかったからと言って「捏造」されたものなのでしょうか?


日本の武道は19世紀〜20世紀に掛けて「デッチ上げられた」ものなのでしょうか?


日本柔道の歴史は最近になって「造られた」ものなのでしょうか?剣道や弓道、合気道、居合道等々は?


さて、嘉納治五郎氏は西洋のスポーツを「パクった」のでしょうか?





◎過去の関連記事
汝はそれである…って、どれ?

ヨガビジネスは「コンプレックス商法」の最前線か?

商品化されたヨガ

ハタヨガ、タントラ、セックス



◎参考論文

以下を参照させていただきました。諸先生方、有難う御座いました。

ハイブリッド文化としてのヨーガ

特に最後の論文「鍛える私から〜」は力作で詳細な調査は非常に面白く拝読させていただいた。