◎眷属霊について


昔、コックリさんって流行りましたよね?(^_^)


私が小学校の時に従兄弟の通う学校でコックリさんをやって発狂した数名が救急車で運ばれる「コックリさん事件」なんてありました(^^;;


まぁ集団催眠とされましたが


このコックリさんの原型は西洋の「テーブル・ターン」或いは「ウィジャボード」で、その起源は15世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチの自著に出て来るらしく、それが19世紀に入って西洋から日本に伝わったそうです。


ネットで「コックリさん」と検索するとやり方や実際にやってみた検証結果などの動画なんかも出て来ますので、ことの真偽はともかく興味ある方はご覧になって下さい(^^)


さて、それに漢字が当てられ狐狗狸(こくり)となりました。


そもそもこの素敵なネーミング、狐狗狸とは読んで字の如く狐はキツネ、狗はイヌ、狸はタヌキで、つまりそれらの動物霊的なモノの総称で、あくまでも動物の霊ではなくて動物の霊的なモノです。言い換えれば霊的な動物?


通常はある神様の眷属なんですが、何か特別なことをやろうとする場合、或いは術者によって神様のほうじゃなくこの眷属を直で使う場合があります。


その場合はあくまでもその神様の権威のもとにやる訳で、例えば伏見稲荷に昔はよくいた稲荷行者、稲荷婆さんとかは大親分であるお稲荷さんを日頃から懇ろに供養して相談者の内容如何によって眷属の狐のほうを使ったりする訳です。


飯綱権現を拝む飯綱行者や飯綱使いと呼ばれる行者たちも管狐(くだぎつね)なんかを使役したりしますね。


映画「平成狸合戦ぽんぽこ」で四国から狸の親分衆たちが大挙して乗り込んで来ますが、それは弘法大師が本州のあちこちにいた狸の親分衆たちを四国に閉じ込めた伝説によってる訳ですが、実際四国には狸大明神が結構祀られてますね。


管狐や狐系の霊体の親分を求めるならお稲荷さんや荼枳尼天、飯綱権現となりますが狸となると四国によく祀られてる狸大明神でしょうか。


しかし狗or犬となるとその親分って???


それもそのはず、神とは名ばかりで犬神ってのは自然発生的な神ではなく色々とその形態の差はあれど、首だけ地表に出して後は地面下に埋め、目の前にエサをぶら下げて餓死する最期の直前に首を延ばした瞬間にその首を刎ね、その頭部を祀ったのが原形なんですね。


つまり飢えた犬のエサを食いたい一心の執念を利用して、誰々を不幸にしてこい!そうすればエサをやる!富を運んでこい!そうすればエサをやる!と使役して願いを叶える呪物、呪法なんです。


またこう云う犬神的なモノを代々祀ってる家系を犬神筋とか憑き物筋と言ったりします。


なんとも恐ろしい話です。


ちなみに眷属霊としてキツネ系、イヌ系、タヌキ系と上で見て来ましたが忘れてはならないのが蛇系ですね。


蛇系だとその親分に当たるのはそのまんま巳さまや水神さん、弁天さんや宇賀神さん、龍神さんでしょうか。もっとも巳さまも龍神さんも弁天さんの眷属なんでもとを正せば弁天さんですかね。




◎映画「犬神家の一族」




はい、前置きが長くなりましたがこの前久々に映画「犬神家の一族」を観る機会があったので長女の松子が箪笥の中に祀っていたモノを写メって見ました。


もうね、知らない人いないんじゃないないの?ってぐらい有名な作品で昭和51年に公開されてから何度も映画やドラマでリメイクされてますよね。


おさらいしたい方はが非常によくまとまってます


未見ですが新バージョンにもこの「犬神」は出て来るそうですね。



犬神I
犬神2



この絵の出典は幕末の国学者の 熊臣(おか くまおみ)が書いた『塵埃』の中の怪異物真図の説明書き。


まぁ映画はフィクションだし、市川崑監督も専門家ではないので細かいツッコミを入れてはいけないのかも知れませんが、なんでこんな「説明書き」を祀ってるのか?通常「説明書き」を祀らないよね?姿が書かれてるからか?しかも単なる「説明書き」が丁寧に表装されて崇拝対象物になってる。


つまり「説明書き」を崇拝対象にするって変じゃない?って話しです。


この「犬神」を祀るって設定は原作にないらしく、また具体的に佐兵衛は四国出身とは言ってないけどそれらしいニュアンスは市川崑監督のオリジナルらしい。


私は原作者の横溝正史や市川崑監督の大ファンなので、それをちょっと行者の視点として考察してみます。


以下は犯人の名前は敢えて伏せますが、ネタバレのオンパレードなので映画を未見の方はご注意を(^^)


◎行者の視点から


はい、映画の冒頭、一代で巨万の富を手に入れた大財閥犬神家当主・犬神佐兵衛が病に臥して巨額の遺産を残してあの世へ旅立つところから始まるこの物語、佐兵衛さんの設定は元は放浪の孤児であり、信州那須神社神官・野々宮大弐に、17歳の頃拾われ養育された。若い頃は玉のような美少年だったと言うことだけで出身等々分からない。


この那須神社の神官・野々宮大弐と佐兵衛さんは男色の関係にありました。


ちなみに長野県の架空の那須神社、犬神御殿、那須湖、那須ホテルを舞台に繰り広げるこの物語、犬神御殿は実際にはありませんが那須神社のロケ地は長野県の仁科神明宮で日本最古の神明造で国宝だそうです。凄い立派です。


仁科神明宮HP



那須ホテルは同じく井出野屋旅館がロケ地として使われたそうです。

井出野屋旅館HP


湖面から突き出る足のシーンは、同じく仁科三湖の一つである青木湖で、ボートのシーンは木崎湖が使われたそうです。


それぞれ映画マニアや金田一耕助ファンたちの聖地となってるそうで、いつか私も行って見たいです😊



はい、映画では1947年の昭和22年に81才没となっていて逆算すると生まれたのが1866年の慶応元年で、ちょうど薩長同盟が成立し、坂本龍馬が暗殺され、幕府による第二次長州征伐が行われた年、つまり維新前夜辺りに生まれたことなります。


恩人の野々宮大弐と佐兵衛さんのが出会った17歳頃は、これもまた板垣退助の自由党を皮切りに2年後の群馬事件や加波山事件、秩父事件等々へと繋がる反政府運動激化前夜の情勢でした。


生涯正妻を娶らず、3人の妾を邸内の各離れに住まわせたが冷酷に扱い、母がそれぞれ異なる3人の娘・松子、竹子、梅子にも愛情を与えず、恩人の野々宮大弐の孫の珠世を溺愛した。


しかしこの珠世、男色家であり女性に興味を持てなかった野々宮大弐が妻の晴世を不憫に思い、若い佐兵衛に勧めて契らせて出来た祝子の子、つまり佐兵衛の実の孫でした。


そして3人の娘たちもその旦那たちも誰も納得いかない遺言状を残して亡くなる。


つまり遺産相続権は上の珠世と、佐兵衛が50才を過ぎて妾の青沼菊乃との間に出来た念願の1人息子・静馬が中心となっていて、3人の娘たちは蚊帳の外となっていました。


3人の娘たちはこの青沼菊乃・静馬親子を虐待の末に追い出してる過去があります。


家系図がないとこんがらがりますので下を参照(^^)


◎私の考察


ここからが私の考察。


先ず、日本人が苗字を公称するようになるのは明治8213日の「平民苗字必称義務令」から。


これは、名乗りなさい!って法律じゃなくて、名乗って良いですよ!って法令ですね。


それまでは苗字があっても公称してないのでだいたいは屋号か地域の名称の後に名前がくる感じ。


放浪の孤児だった佐兵衛さんは時代的にも苗字を名乗ってた可能性が低いと考えられますし、そもそも知ってたんかな?と思います。


若し佐兵衛さんが四国出身で実際に今は無くなったが犬神村ってところがあって代々の犬神筋の家系だった場合は野々宮大弐のバックアップのもと犬神製薬工場を設立する21歳前後に犬神姓を公称して映画の物語へと繋がるんでなんの矛盾もなさそうに思います。


しかし四国出身ではなく代々の犬神筋でもなく犬神村も存在してない場合、写メの「犬神」は佐兵衛さんの個人的な信仰で、拝み屋か犬神筋か行者か分からないがそっち系の人に祈祷を頼んだかした時に「犬神」の説明として 熊臣の説明書きの写しを貰った。その写しを崇拝対象とした。


若しくは廃仏毀釈の嵐が吹き荒れるこの頃は国学者が威張り腐ってたころなんで那須神社に国学者の 熊臣の著書が伝わってた可能性もあります。


佐兵衛さんは幕末の人だから同じく15年前に没してる幕末の 熊臣さんが書いた『塵埃』は設定上の佐兵衛さんからしてもそんな古いものではないし、しかも野々宮大弐は「神主」ではなくて「神官」、つまり明治新政府から派遣された国家公務員です。


なので中央との往来はあったでしょうから 熊臣の著書をどこぞで入手し持ち帰っていて、佐兵衛さんがそれを読んだことも考えられます。


ちなみに戦後はGHQによって国家神道が解体されたので「神官」と云う職名はなくなります。


佐兵衛さんは熱心にこの写しを信仰したため、それ以後は苗字を犬神姓としたとしよう。


でもよく考えると代々の犬神筋なら既に崇拝対象としての「犬神」は祀ってある訳で、わざわざこんな最近になって出回った「説明書き」を拝む必要はない。


従ってやはりこの説明書きの「犬神」は佐兵衛さん個人の崇拝対象物だったんだと考えるのが妥当ということになります。


そう考えると「説明書き」を崇拝対象としてるのは変じゃないことになります。


ただ那須神社の神官、野々宮大弐に拾われ寵愛されたんなら、何故那須神社の神(祭神が分からない)を崇めなかったのか疑問が残りますが、もしかしたら佐兵衛さんには男色の気はなく、野々宮大弐に夜伽をさせられるのを恩義があるため本当は必死で耐えていたのだとしたら、それがせめてもの抵抗だったのかもしれない。



◎呪法「犬神」


薩長による倒幕運動の本格的な開始の辺りに生まれ、明治への改元、幼少期は西南戦争時代を過ごし、そして時代は近代化へ向け着々と進み、専横を極める明治新政府への反発から反政府運動が激化する中を放浪し、僅か21歳で起業して、日清日露戦争と2度にわたる世界大戦を通り抜け、「犬神」の力を使って裸一貫から大財閥を作り上げた佐兵衛。


そんな激動の時代を強く生き抜いた佐兵衛だからこそ「犬神」と言う禍々しい力を使うことが出来たんですね。


そして佐兵衛の亡き後、供物(エサ)を貰えなくなった「犬神」は犯人に取り憑き佐兵衛の血族たちを次々と食い殺していく


いや、もっと穿った見方をすれば佐兵衛がその禍々しい「犬神」を祀ったのも犬神姓を名乗ったのも、3人の妾たちを道具扱いしていたのも、その娘たちを冷遇したのも、そしてあの理不尽な遺言書を遺したのも、その本意が見えて来る。


つまりは自らの血族を「犬神」の犬に見立て、その血族たちの遺産に対する執念を利用して、かつて唯一愛した女性である晴世との間に出来た孫・野々宮珠世と、唯一の息子である静馬を富ませようとしたのかもしれない。


そう、佐兵衛にとっては自分の娘たちは犬だったのだ。


佐兵衛は娘たちを使って呪法「犬神」を行ったのだ。


ただの「説明書き」にすぎなかったこの「犬神」は、佐兵衛の一族たちの血によって完成するようになっていたのだ…





◎本当のテーマは「愛」


以上、オドロな部分と佐兵衛さんの時代背景に特化して私の考察を見てきましたがいかがでしたでしょうか(^_^)


エログロナンセンスの横溝ワールドが炸裂する小説「犬神家の一族」が、名監督市川崑とタッグを組んで映像化されたこの作品、日本映画史上に残る本当に素晴らしい傑作となりましたね。


しかし、上の家系図を引用したサイトでは「妄想の範疇ですが…」と前置きの後に、佐兵衛の長女・松子の子である佐清は佐兵衛の実子である静馬とそっくりなことから実は佐兵衛の子供だったのでは?と仮説を述べられています。


「佐清が産まれた時を同じにして出来た愛人親子青沼菊乃・静馬に対する狂気に満ちた憎しみ」はここにあると。


さもありなん。


映画の冒頭、佐兵衛の臨終に際して語り掛ける松子の眼差しは、母と自分を冷遇した憎むべき父親に対するそれではない。


であればこそ愛憎渦巻く一族の中で、父が大切にした「犬神」を拝んでるのは松子だけだし、父の愛に飢えていた松子の思いは父に愛された証であるその子、佐清に対する溺愛へと向いた。


いやそれは松子だけでなく、菊乃・静馬親子に対する狂気染みた仕打ちからも他の娘たちも同じだったのかも知れない。


嫉妬がなければ愛もないのだ。


当の佐兵衛も然り、唯一愛した女性である晴世と結ばれぬことへの憂さを次々と子をなすことで晴らし、その想いは晴世と愛し合った証であるその孫へと向いた。


そこには犬神家の一族の渇愛深きが故に屈折してしまった情念が根底にはあり、それが遺産相続争いと云う物欲として現れてしまっただけなのかも知れない。


そう考えると本当はカネやモノではなく、この一族は愛こそが欲しかったのではないでしょうか。


だからこそ、狂気と憎しみが交錯するこの陰惨な映画のオープニングに聴く者の情感を揺さぶらずにはおかない愛と哀しみに満ちた名曲「愛のバラード」が流れるのではないでしょうか。