モンサントのラウンドアップ裁判で私はロバート・ケネディJr.弁護士にインタビュー、『食の安全を守る人々』の映画にも出て頂いています。


私は彼を心から尊敬し応援します。最後まで読んでいただけませんか。


彼はジョン・ F ・ケネディ大統領の弟 ロバート・ケネディ司法長官のジュニアです。 


ケネディ大統領がダラスで銃弾に倒れた後、弟の司法長官が大統領選に出馬しましたが同様に殺されてしまいました。


私が彼に、あのモンサント相手に何がきっかけで30年も闘ってきたのかと尋ねると、高校の時叔父に呼ばれてホワイトハウスに行ったら、レイチェル・カーソン女史を紹介されたそうです。


彼女は今では古典になっている『沈黙の春』の著者で有名な方で、私も若い頃貪るように読んだものでした。

モンサントの農薬DDTの被害を公にして警鐘を鳴らした本です。 


当時彼女はメディア、学者等から科学的知見としての根拠のないことを述べているとして糾弾され、厳しい立場に立たされていたのです。

当時、ケネディ大統領が上院の委員会で彼女の主張が正しいことを明らかにし、米国が世界に先がけてDDTを禁止したのです。


若かった彼は弁護士になり、それ以来 30年間 モンサントと闘ってきたのです。


今回のラウンドアップ裁判でモンサントに勝利することができた経緯をお聞きすると、同社の内部機密資料を裁判所に提出できたからだと誇らしげに語ってくれました。


私は日本でもこれからラウンドアップによる被害者が続出すると思われるので、裁判になる時には 私どもにもモンサントの内部の機密資料 を提供してもらえないだろうかとお聞きしたのです。


彼は米国の裁判所が認める限り全ての資料をあなたに提供することを約束する。そして、日米共同してモンサントと闘おう、と固い握手を交わしました。


別れ際に彼に私の学生時代の思い出を話しました。


実は学生時代にあなたのお父さんとの思い出があるのです。


ロバートケネディ司法長官が日本に来ることになって、当時私は早稲田の学生でしたが、米国大使館のパッカード公使にお願いして早稲田の大隈講堂でお父さんの講演をしていただいたのです。


彼は驚いて 「ちょっと待ってくれ」と席を立って、事務所からスマホを持って戻ってきたのです。


スマホの中から1962年当時の大隈講堂での講演の写真 1枚を取り出して私に見せたのです。




そして私の母は90歳を超えましたが、まだ早稲田の校歌を歌うことができますと。


感動しました。


その後もケネディ弁護士はワクチン訴訟を積極的に進めていて、私のところにも日本での子宮頸がんワクチンについての問い合わせが来ています。