大野百合子さん、Denaliさん達と田谷の洞窟へ
昨日は、「日本の神様カード」の著者である大野百合子さんにお会いした。
「大船にとあるパワースポットがあるので、是非そこにお連れてしたい」と前に言ってもらってたんで、楽しみにしてたんだよね。なにしろ、あの大野百合子さんがパワースポットだって言うわけだからさ、楽しみにしないわけにはいかないよね!
メンバーは東北芸術工科大学文芸学科の専任講師も頼んだ藤原千尋さん、アメーバブックス新社の佐藤朋子、それから「日本の神様カード」で絵を描いているDenaliさん もいっしょ。
Denaliさんとは初対面だったんだけど、じつは彼女は大野百合子さんのお嬢さんなんだよね。
http://denali.dreamlog.jp/
ぼくの『神をさがす旅』を読んでくれていて、彼女も島旅が好きで、そんな話もたくさんした。
大船駅の近くに百合子さんがクルマで迎えに来てくれて、いざ出発。
駅からそんなに遠くない場所に、真言密教の田谷山定泉寺がある。空海像があったので、ぼくは両手を合わせた。
真言密教の信者とは言えないけど、やっぱり、空海にはものすごく惹かれるところがあります。だからあんな新書を書いたんだけどさ。
定泉寺に隣接して、田谷の洞窟がある。総計1kmにも及ぶ洞窟なんだが、確かにものすごいパワースポットだった。人間ではない存在の気配が濃厚で、でも聖なる場所だということがわかるので少しも怖くはない。守られている感じがする。
↑Denaliさんが撮ってくれました。洞窟の入り口です。
うまい喩えが見つからないんだが、ハナをかんですっきりするみたいに、自分の中の不浄なものが「大いなる気」によって押し出されて、全身にすっきり気が通るんだよ。
百合子さんは「山川さんが先頭を行ってくださいね」とおっしゃり、仕方がないのでぼくが先頭。
事前には、何のインフォメーションもないんだよね。空海の「く」の字もなし。それがどういう洞窟なのかという説明もなし。
狭い洞窟を進んで行くと、金剛界曼荼羅のスペースがあったりする。
「わっ、ここ凄い!」とぼく。
「そうなんですよ」と百合子さん。
そういう感じ。
古代人の横穴式住居跡だったとも言われているらしいが、 鎌倉時代以降、真言密教の修行窟として 拡大していった。多くの修行僧が、ノミでコツコツと曼荼羅を描いたり、仏像を彫ったりしていった。
今では、地下の壮大な密教の伽藍が完成している。
その地下の伽藍を、受付でもらった蝋燭の明かりを頼りに歩いて行くわけだ。
この洞窟での体験は、次の本にきちんと書こうと思っています。
不意打ちのように地下の伽藍で空海──弘法大師に出会った『神をさがす旅』を書いた後のぼくは、自分は屋久島から奄美群島、ハワイ島へまでスピリチュアルな旅をつづけながら、でも結局それは空海の手のひらの上の世界だったのかもな──と思ったのだった。
話がそれるが、なぜぼくが『神をさがす旅』を書いたのかというと、それは仏教やキリスト教やイスラム教などの既存の宗教が機能不全に陥っているのではないかという実感があったからだ。人間の一生に限りがあるように、現世の人間のための具体的な宗教にも耐用年数というものがあり、それぞれの宗教の耐用年数というものが尽きようとしているのではないかという思いが強かったのだ。
近代化と共に西欧世界で神は殺され、日本では明治維新の際に神仏分離、廃仏毀釈があり、ぼくらは神なき世界を生きていかざるを得なくなった。
神仏分離、廃仏毀釈は、日本の古代から脈々と受け継がれてきた神仏習合、すなわち良質なアニミズムの息の根を止めたんだと思うね。
あれはあまりにも乱暴な政策だよ。日本人はあそこで、取り返しのつかないことをしたんだよ。
弱い人間には、神も仏もいない世界を生きていくことはできない。そんなことはできっこないんだよね。だから、原始的なアニミズムを再構築することから始めなければとぼくは思う。『神をさがす旅』では、湯湾岳で出会った姉妹の「人間ではない存在」のことを書き、それを読んだ人達から「読んでる時にラップ音が聞こえた」とか、「怖くて読めなかった」とか、「健さん、なんであんなに怖~い話を書いたんですか?」というような感想メールをたくさんもらった。
じつは、そういうメールを今もまだいただいてます。
ドストエフスキーに『罪と罰』って小説があるけど、知識人は「罪」について思考する。一般大衆は「罰」が怖いと思う。罰というのは、バチのことだよね。こんな悪さをしたらバチが当たるんじゃないか……という。
知識人の「罪」の意識は、もはや屁の突っ張り(下品でゴメン!)にもならない。そういう時に頼りになるのは「こんな悪さをしたらバチが当たるんじゃないか」というバチの感覚だよ。
幽霊っているのかも。
いや、いるにちがいない。
こ、怖い~。
こうした感覚がアニミズムの世界への通路を開き、新しい「神」との出会いを可能にするのだと思う。
今、いちばん大切なのは、幽霊や物の怪が怖いという素直な直感なのではないだろうか。だって、その果てににしか「神」は存在しないのだから。
それを探しつづけるのが、「神をさがす旅」なんだよね。だからこれをもっと詳しく言えば、「(既存の神がいなくなってしまった世界において新しい)神をさがす(スピリチュアルな)旅」ということになると思います。
さて。
洞窟を通り抜けた後は、近くにある九つ井という和食屋さんというか蕎麦屋さんの別棟の個室で、食事した。
食事を終えたら、百合子さんが、退行催眠というか前世療法をやってくださった。メディテーションしながら、百合子さんのガイドで階段を下りていき、前世をリアルに体験するんだよね。それを、百合子さんやお嬢さんなど4人の女性が耳を澄ませているところで、喋っていくわけ。
「僧侶ですね。庭を掃いてます」みたいな感じで。
時々、みんなが笑うんだよね?
なんでだよ!
ぼくの「今にいちばん強い影響を与えている」前世は、やっぱり明恵上人みたいな僧侶だった。
明恵上人は華厳宗の僧侶として有名だけど、じつは真言密教も学んでいた。知ってた? 彼は宇宙の原理そのものに迫ろうとする華厳の哲学と、そこから一歩を踏み出して今風に言うならマジックやスピリチュアルな世界に身を投じる真言密教の間で思考した人で、ぼくはそこにどうしても自分自身を重ねてしまうんだけどさ。
みんなが笑ったのはそういう箇所ではなく、やっぱり恋愛の話のところね。
あーあ、恥を晒してしまいました。
その後、全員で、アカシックレコードにアクセスするセッションをやっていただき、驚くべきことに全員が予想以上にスンナリとアカシックレコードにアクセスできた。大野百合子さん、やっぱ、凄いね。
ルートがわかったので、これからは自分1人でそこに行っていろんな情報をダウンロードできるらしい。
百合子さんの個人セッションの予約はもういっぱいで、数ヶ月待ちらしい。今日、会社に出たら、「ずるーい!」と皆にうらやましがられました。
ところで、このぼくの「前世治療」と「アカシックレコードにアクセスするセッション」の模様を、うちの佐藤がICレコーダーで録音したんだよ。今度自分でゆっくり聴いてみようと思ってます。
ぼくとしては恥を晒すことになるわけだが、具体的なセッションの様子があったほうがわかりやすい──と、皆さんがおっしゃるものですから。
おや、気がつけば長文になってるな。
では、また!
※大野百合子さんの著書を夏ぐらいにはアメーバブックス新社で刊行させていただく予定です。カバーの絵はお嬢さんのDenaliさんです。楽しみにしててね!
- 日本の神様カード/大野 百合子
- ¥3,150
- Amazon.co.jp
「大船にとあるパワースポットがあるので、是非そこにお連れてしたい」と前に言ってもらってたんで、楽しみにしてたんだよね。なにしろ、あの大野百合子さんがパワースポットだって言うわけだからさ、楽しみにしないわけにはいかないよね!
メンバーは東北芸術工科大学文芸学科の専任講師も頼んだ藤原千尋さん、アメーバブックス新社の佐藤朋子、それから「日本の神様カード」で絵を描いているDenaliさん もいっしょ。
Denaliさんとは初対面だったんだけど、じつは彼女は大野百合子さんのお嬢さんなんだよね。
http://denali.dreamlog.jp/
ぼくの『神をさがす旅』を読んでくれていて、彼女も島旅が好きで、そんな話もたくさんした。
大船駅の近くに百合子さんがクルマで迎えに来てくれて、いざ出発。
駅からそんなに遠くない場所に、真言密教の田谷山定泉寺がある。空海像があったので、ぼくは両手を合わせた。
真言密教の信者とは言えないけど、やっぱり、空海にはものすごく惹かれるところがあります。だからあんな新書を書いたんだけどさ。
- 「空海」の向こう側へ 現世を生き抜くための密教のすすめ [ソフトバンク新書]/山川 健一
- ¥735
- Amazon.co.jp
定泉寺に隣接して、田谷の洞窟がある。総計1kmにも及ぶ洞窟なんだが、確かにものすごいパワースポットだった。人間ではない存在の気配が濃厚で、でも聖なる場所だということがわかるので少しも怖くはない。守られている感じがする。
↑Denaliさんが撮ってくれました。洞窟の入り口です。
うまい喩えが見つからないんだが、ハナをかんですっきりするみたいに、自分の中の不浄なものが「大いなる気」によって押し出されて、全身にすっきり気が通るんだよ。
百合子さんは「山川さんが先頭を行ってくださいね」とおっしゃり、仕方がないのでぼくが先頭。
事前には、何のインフォメーションもないんだよね。空海の「く」の字もなし。それがどういう洞窟なのかという説明もなし。
狭い洞窟を進んで行くと、金剛界曼荼羅のスペースがあったりする。
「わっ、ここ凄い!」とぼく。
「そうなんですよ」と百合子さん。
そういう感じ。
古代人の横穴式住居跡だったとも言われているらしいが、 鎌倉時代以降、真言密教の修行窟として 拡大していった。多くの修行僧が、ノミでコツコツと曼荼羅を描いたり、仏像を彫ったりしていった。
今では、地下の壮大な密教の伽藍が完成している。
その地下の伽藍を、受付でもらった蝋燭の明かりを頼りに歩いて行くわけだ。
この洞窟での体験は、次の本にきちんと書こうと思っています。
不意打ちのように地下の伽藍で空海──弘法大師に出会った『神をさがす旅』を書いた後のぼくは、自分は屋久島から奄美群島、ハワイ島へまでスピリチュアルな旅をつづけながら、でも結局それは空海の手のひらの上の世界だったのかもな──と思ったのだった。
- 神をさがす旅 ユタ神様とヘミシンク/山川健一
- ¥1,470
- Amazon.co.jp
話がそれるが、なぜぼくが『神をさがす旅』を書いたのかというと、それは仏教やキリスト教やイスラム教などの既存の宗教が機能不全に陥っているのではないかという実感があったからだ。人間の一生に限りがあるように、現世の人間のための具体的な宗教にも耐用年数というものがあり、それぞれの宗教の耐用年数というものが尽きようとしているのではないかという思いが強かったのだ。
近代化と共に西欧世界で神は殺され、日本では明治維新の際に神仏分離、廃仏毀釈があり、ぼくらは神なき世界を生きていかざるを得なくなった。
神仏分離、廃仏毀釈は、日本の古代から脈々と受け継がれてきた神仏習合、すなわち良質なアニミズムの息の根を止めたんだと思うね。
あれはあまりにも乱暴な政策だよ。日本人はあそこで、取り返しのつかないことをしたんだよ。
弱い人間には、神も仏もいない世界を生きていくことはできない。そんなことはできっこないんだよね。だから、原始的なアニミズムを再構築することから始めなければとぼくは思う。『神をさがす旅』では、湯湾岳で出会った姉妹の「人間ではない存在」のことを書き、それを読んだ人達から「読んでる時にラップ音が聞こえた」とか、「怖くて読めなかった」とか、「健さん、なんであんなに怖~い話を書いたんですか?」というような感想メールをたくさんもらった。
じつは、そういうメールを今もまだいただいてます。
ドストエフスキーに『罪と罰』って小説があるけど、知識人は「罪」について思考する。一般大衆は「罰」が怖いと思う。罰というのは、バチのことだよね。こんな悪さをしたらバチが当たるんじゃないか……という。
知識人の「罪」の意識は、もはや屁の突っ張り(下品でゴメン!)にもならない。そういう時に頼りになるのは「こんな悪さをしたらバチが当たるんじゃないか」というバチの感覚だよ。
幽霊っているのかも。
いや、いるにちがいない。
こ、怖い~。
こうした感覚がアニミズムの世界への通路を開き、新しい「神」との出会いを可能にするのだと思う。
今、いちばん大切なのは、幽霊や物の怪が怖いという素直な直感なのではないだろうか。だって、その果てににしか「神」は存在しないのだから。
それを探しつづけるのが、「神をさがす旅」なんだよね。だからこれをもっと詳しく言えば、「(既存の神がいなくなってしまった世界において新しい)神をさがす(スピリチュアルな)旅」ということになると思います。
さて。
洞窟を通り抜けた後は、近くにある九つ井という和食屋さんというか蕎麦屋さんの別棟の個室で、食事した。
食事を終えたら、百合子さんが、退行催眠というか前世療法をやってくださった。メディテーションしながら、百合子さんのガイドで階段を下りていき、前世をリアルに体験するんだよね。それを、百合子さんやお嬢さんなど4人の女性が耳を澄ませているところで、喋っていくわけ。
「僧侶ですね。庭を掃いてます」みたいな感じで。
時々、みんなが笑うんだよね?
なんでだよ!
ぼくの「今にいちばん強い影響を与えている」前世は、やっぱり明恵上人みたいな僧侶だった。
明恵上人は華厳宗の僧侶として有名だけど、じつは真言密教も学んでいた。知ってた? 彼は宇宙の原理そのものに迫ろうとする華厳の哲学と、そこから一歩を踏み出して今風に言うならマジックやスピリチュアルな世界に身を投じる真言密教の間で思考した人で、ぼくはそこにどうしても自分自身を重ねてしまうんだけどさ。
みんなが笑ったのはそういう箇所ではなく、やっぱり恋愛の話のところね。
あーあ、恥を晒してしまいました。
その後、全員で、アカシックレコードにアクセスするセッションをやっていただき、驚くべきことに全員が予想以上にスンナリとアカシックレコードにアクセスできた。大野百合子さん、やっぱ、凄いね。
ルートがわかったので、これからは自分1人でそこに行っていろんな情報をダウンロードできるらしい。
百合子さんの個人セッションの予約はもういっぱいで、数ヶ月待ちらしい。今日、会社に出たら、「ずるーい!」と皆にうらやましがられました。
ところで、このぼくの「前世治療」と「アカシックレコードにアクセスするセッション」の模様を、うちの佐藤がICレコーダーで録音したんだよ。今度自分でゆっくり聴いてみようと思ってます。
ぼくとしては恥を晒すことになるわけだが、具体的なセッションの様子があったほうがわかりやすい──と、皆さんがおっしゃるものですから。
おや、気がつけば長文になってるな。
では、また!
※大野百合子さんの著書を夏ぐらいにはアメーバブックス新社で刊行させていただく予定です。カバーの絵はお嬢さんのDenaliさんです。楽しみにしててね!