この文章は、後援会向けにかいたものですが、

皆様のご了解を得て、ブログに公開させていただきます。

先日、お世話になったドラマの監督が亡くなられた。

原発発言で自ら辞めた事務所のマネージャーが知らせてくれた。有り難い。


僕が17歳の頃、まだどうしようもない、演技にもなってない表現をしていた頃に、お世話になった監督。

初めてご一緒したドラマの打ち上げで、

「またご一緒させて下さい」と言った僕に対して、

「もっと修行を積んでからだな」とお茶目な表情で言って下さった人。


それを聞いて、この先はない、と思ったけどそれからも何とか出番を作って、コンスタントに呼んで下さった方。

当時の、色んな思い出が頭の中を駆け巡った。

「世の中が変われば、また表現の世界に戻って、
いつかまた仕事が出来る。」

芸能界時代にお世話になった方々の顔が浮かぶ時、自分自身に言い聞かせる言葉。

未練たらたら、って事じゃない。

覚悟はもちろん決まっている。

でも、ごくごくたまに色んな顔が頭に浮かんだ時は、そんな言葉を掛けて思考を現実に戻していた。

「もう少し時間が掛かるんですから、
そんなに早く逝かれては、困ります監督。」


亡くなった、と聞いた時、声には出ないけど唇はそう動いた。

葬儀には時間が合わない、せめてお花を贈ろう。

事務所に手配の電話をすると、

「お花は贈れませんよ」

「どうして?」

「選挙区内での贈り物は、違反ですから」

なんだそれ?

亡くなった方は、1票持ってないよ。

選挙運動と関係ないだろ。

お世話になった方のお別れの会に、お花も贈れないのか。

「何とかならないの?何だったらセーフ?」

弔電なら大丈夫、との事。

電報か。

短い文で表現するの大変だな、ブログだっていつも長いし。

ご挨拶に伺えないのだから、電報に想いをのせるしかない。


    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

○ ○監督、旅立たれたんですね。

当時16歳、どうしようもない程、

演技が下手な僕にもイメージがわく言葉で飄々と、

根気強く演出して戴いた事、その後も懲りずに現場に呼んで戴いた事、ずっと忘れません。

他にも数々の感謝の気持ちをお伝えしたいので、僕がそちらに行った際にはお付き合い願います!

山本太郎