僕とSASAMEの『Boy meet girl』でっせ☆
毎度でぇ~す
フィールドテスターの中本でおまんにぁわ♪
さて、僕とささめ針との出会いを語らせてもらいまひょか。
初めてのコンタクトは、僕が月刊『関西のつり』の誌上にて「やめられまへん! 投げ釣りは」を連載させてもらって9年目となる1998年の2月、フィッシングショーの会場でありました。
某広告代理店に転職した最初の連載担当記者だったS君が、投げ釣りのフィールドテスターを探していた【㈱ ささめ針 】の篠倉社長を紹介してくれたのが全ての事の始まりとなります。
当時のささめ針といえば、未だ「市販仕掛けのメーカー」といった印象が強おましたが、若い社員が元気に動き回るフィッシングショーの活気あるブースの裏にあった控え室で篠倉社長とお話をしたとき、何か社長から発せられる温かいオーラを感じてエエ感触で話が進んだように憶えていまっせ。
とくに僕の心の琴線に響いた社長の口上が、
「中本さん、初めから大きなメーカーに入って名を上げてもアタリ前過ぎますやん」、「ウチのような小さな会社と共に努力をして、低いところから手を携えて高みへと登り上がっていくのがオモシロイと思いません」
「その代わりに、落ちるときは”奈落の底”まで一緒でっせ」
この言葉にはメチャクチャ感動したオッサンでおました。
そんな男・中本嗣通を最初に買ってくれた社長の心意気に「惚れて、惚れて、惚れ抜いてぇ~♪」ってな演歌の文句やおまへんが、「よっしゃぁ~ この会社でお世話になろう…」と心に決め、今に至っています。
でっ、ハッと気が付けばささめ針における最古参のフィールドスタッフとして足掛け14年もの歳月が経ちました。
オッサン自体は歳をくらった初老体へ「変身」しただけですが、その間にささめ針は社長をはじめ、会社一丸となった営業努力の賜物で業績をグングンと伸ばし、現在では釣り針メーカーとして確固たる地位を築かれ、これから先にも明るい未来が開けているように思えます。
…ってなことで、篠倉社長とささめ針にはこれからも何かにつけてベッタリとお世話になろうと思っているオッサンですので、ひとつよろしゅうにお願いしまっさ。
いや、ホンマに
(…とはいっても、僕はホ○と違いまんねんけれども…)