蒼い1976の流行歌ですわ❤(その1) | やめられまへん 投げ釣りはっ!

蒼い1976の流行歌ですわ❤(その1)

毎度ですニコ

 

 

オッサンが最も敏感なお年頃を過ごした1976年(昭和51年)といえば、実家のある大東市から大阪市内の深江橋にある学校への毎日の通学がイヤで、イヤで仕方なかった”花のセブンティーン”の高校2年生でおましたおーっ!おーっ!おーっ!

 

 

 

 

 

 

そんな苦痛に満ちた時期の楽しかった思い出といえば、ギャンブルの面白さを知って毎日の様に通ったパチンコホールの店内風景と、セブンスター(当時は1箱¥100やったんでっせ…ガーンの紫煙を揺らしながら付き合っていた可愛い彼女とおしゃべりする喫茶店の懐かしい風景ですわ音譜音譜音譜

 

 

 

 

 

 

この時代のパチンコ台といえば連発型ながらも手動式ハンドル器で、盤面のアチコチにあるチューリップに玉が入ると15球が出てくる入賞を重ねて球を溜め、約1~2時間程度を掛けて予定終了へもっていったとしても¥4.000~¥5.000ぐらいが獲得金額の標準やったと思いまっせえー?

 

 

 

 

 

 

でもまっ、当時はパチンコ玉の1回の購入金額も¥200ずつという少額の出費でしたから、いま考えればホンマに時間つぶしできる”大人のお遊び”という感じで、1日で¥10.000(まだ聖徳太子が絵柄の時代でっせ…)ほども負けるようなことがあれば顔面蒼白になって寝込み兼ねないほどのショックでしたもんネ叫び叫び叫び

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よく通ったパチンコ店といえば学校の行き帰りによく寄った 国鉄・片町線鴻池新田駅前にあった「グランデ鴻池」、「百万弗」、「大池会館」 や実家から近いことでホームグランドとしていた住道ダイエー横の「ニコニコ会館」といったホールでっしゃろかなほっこり

 

 

 

 

 

 

 

・・・でっ、その当時にパチンコ玉をハジキ打ちながら耳へ入ってきた有線放送の流行歌といえば、1976年の大ヒット曲である子門真人の「およげ!たいやきくん」にダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」などが数多く流れていましたが、オッサン的にはレコード大賞を獲った都はるみの「北の宿から」 や 二葉百合子の「岸壁の母」、因幡 晃の「わかって下さい」、内藤やす子の「弟よ」といった演歌系のマイナーなメロディーのBGMが当時のパチンコ台の盤面とモロに被ってきよりますわぁ~ベルベルベル

 

 

 

 

 

 

 

 

アップテンポな曲では太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、山口百恵の「横須賀ストーリー」、あおい輝彦の「あなただけを」が流れ聴こえ、異色なところではミス花子の「河内のオッサンの唄」や 斉藤こずえの「山口さんちのツトムくん」なんかがおましたでラブラブラブラブラブラブ

 

 

 

 

 

 

 

 

それらの懐かしい流行歌と共に、勢いのある「軍艦マーチ」の旋律に載せてベテラン店員が発する「イィ~らっしゃいませ、イィ~らっしゃいませ!!」というマイクパフォーマンスのガナリ声が、還暦を超えた白髪爺が半世紀近く昔へ戻れるノスタルジーに満ちた心地よい調べになってくれまんねんなぁ~カラオケカラオケカラオケ

 

喫茶店編へとつづく・・・