投げ初心者だった1972年の流行歌 ❤ | やめられまへん 投げ釣りはっ!

投げ初心者だった1972年の流行歌 ❤

毎度ですニコ

 

 

僕が投げ釣りを始めたのは2月に北海道の札幌で「冬季オリンピック」が華々しく開催された1972年(昭和47年)のことで、僕がまだ中学1年生だった頃ですにやり

 

 

 

 

 

 

 

 

その札幌オリンピックではスキージャンプの日の丸飛行隊のメダルラッシュに感激し、”銀盤の妖精”と言われたフギュアスケートのジャネット・リンがミニスカートの衣装から見せる健康的な太腿に目が釘付けだったこと記憶してまっせニヤドキドキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1972年当時の流行曲といえばデビューしたばかりの 麻丘めぐみの「芽生え」や

仲 正美の 「ポルシュカポーレ」、森田健作の 「友達よ泣くんじゃない」 に始まり、小柳ルミ子の 「瀬戸の花嫁」 や 天地真理の 「ひとりじゃないの」、 南 沙織の 「純潔」、真っ赤なヘソ出しファッションで踊り歌う 山本リンダの「どうにも止まらない」といった曲がTVや商店街、昼休みに流れる中学の校内放送から流れていましたなベルベルベル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも1972年といえば吉田拓郎を筆頭にしたフォーク・ソングが大流行して、拓郎の「結婚しようよ」や「旅の宿」が大ヒットし、ガロの「学生街の喫茶店」、井上陽水の「夢の中へ」、泉谷しげるの「春夏秋冬」、五輪真弓の「少女」などがTVの歌謡曲ランキング番組で上位に食い込んでましたもんネ星星星

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洋楽ではショッキング・ブルーの「ヴィーナス」 や T・REXの「イージー・アクション」、ギルバート・オサイバンの「アローン・アゲイン」 や ステービィー・ワンダーの「迷信」、エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」、アルバート・ハモンドの「カルフォルニアの青い空」 なんぞがヘビーローテーションでAMやFMのラジオ放送からガンガンと流れてましたで音譜音譜音譜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・なので、中学一年生の冬に厚手のセーターの上から土方ジャンパーを羽織り、ジーンズの下にパッチを履き込み、厚い靴下の上から黒いゴム長靴を履き、スッポリと耳が隠れる毛糸の帽子を被って北河内の大東市から電車を乗り継いで遥か離れた泉南エリアの釣り場へと赴き、吹き荒ぶ北西の強い寒風に震え耐えながら沖に白兎が飛び跳ねる荒れた冬の海へ向かってDAIWAの「スポーツ№2」を装着した「いそかぜ360H」をフルスイング(…といってもせいぜい 40~50mほどの飛距離でっしゃろが…)して、上記した和洋の流行歌のメロディーを口ずさみながらアタリを待っていた若き少年時代のオッサンなのでありましたあせるアセアセあせる

 

 

 

そのせいか、いまだに1972~1974年辺りの流行曲を聴くと半世紀も前の泉南・箱作や淡輪ヨットハーバー波止、谷川・豊国崎の小波止の沖で狂ったように跳ねる波と前方から吹き襲ってくる冷たい北風を感じてしまうオッサンでっせラブラブラブラブラブラブ