あなたのコメントを読んで
諸行無常という言葉が浮かびました。







私の文章を読みながら
我を忘れて涙がこみ上げ
やがてすぐまた我が戻ってくる。
そしてそれはそれでいいと思う、とのこと。


とても素敵だと思いました。


「それでいいと思う」という言葉の
凛とした清々しさと
どんな自分をも受容しようとする潔さ。


文章に透明感があってとても心に沁みました。


落ち葉が決して川の流れに逆らわないように
心の揺れに逆らわない様を感じて
私の心まで気持ち良く揺れて緩むような想いです。






愛って寛容さや優しさだけじゃなく
憎しみや怒りを呼ぶこともありますね。


あるときは高揚させてくれるものであり
あるときは絶望させられるものである。
その振り幅はとんでもなく大きい。


けれども
その振り幅の全てを含んだものが愛であり
だからこそ愛に触れたとき
どうしようもなく揺さぶられるんでしょうね。





けど、川のように
その流れや揺れの底には
静かで、決して揺らぐことのない
何者にも覆すことの出来ない
確固たるものがあるのかもしれません。


私の文章を読んで
その海底に沈めていたものに触れたのでしょうか。


こちらこそ
素敵なシェアをありがとうございます。


書いて良かったです。







正月の後半は広島にいました。
最終日に温泉宿から広島市内に移動。


行列のできるお好み焼き屋さんに
1時間並んで身体はキンキンに冷えました。

鉄板がピカピカで素晴らしい!

マヨネーズがカープ仕様で可愛くて


久々に美味しいお好み焼きを食べれました。


幸せな気持ちでお店を後にすると
すぐ近くに原爆ドームが見えたので
そちらに向かいました。


広島にはもう何度も来てるし
原爆ドームも車窓から見たこともあった。


でもこうして
原爆ドームを見るために近づいたのは
これが初めてでした。


至近距離で眺めていると
何故だか分からないけれど
声を上げて泣きたくなりました。


理屈では説明のつかない
圧倒的な感情の波でした。




去年のはじめに沖縄に行ったとき
一緒に行った友達が
ひめゆりの塔を見に行きたいと言った時 
私は行かないと言いました。


戦争に関する歴史を
今改めて知る必要は無いと思ってました。


悲しい記憶をわざわざ頭に焼き付けなくてもいいし
もう悲しいことなど忘れて今を生きたいのだと
その友達に言いました。


だけど、今回は何故だか
自ら原爆ドームに近寄って行き
資料館にまで足を運びました。


半分くらいの人が外国人で
資料館の中は何とも言えない空気だった。


私にとって戦争の歴史を知ることは
私の中にある何かに光を当てて
見つめることのような気がしました。


まだその意味が掴めてないし
何で行こうと思ったのかいまだに謎ですが
目を背けてきたものに目を向けたということは
心の水面下において
何か大きな意味がある気がします。

原爆ドームの横にいた木々がすごい迫力でした。


枝にまで草が生え
生命力に満ち溢れて青々としていて
ぼろぼろになったドームと並んでることで
それがよりリアリティを感じさせました。





夫がにゃんこを発見。




コメントのお返事が
こんな長くなってしまいました(笑)



いつもありがとうございますセキセイインコ青