今回は「クラムボン」について。
クラムボンとは・・・
宮沢賢治の作品、「やまなし」に出てくる造語。何をさしているかについては
諸説ある。現在小学6年生の国語の教科書に掲載されている模様。
覚えている方も多いのではないでしょうか。
私がこの文章を始めて読んだ時のクラムボンに対する感想としては
「クラムボン」というのはおそらく川底からみた「太陽」のことなんだろうな
というものでした。
しかし、授業の中ではクラムボンが何かについて明確な説明はなく、
担任の教師もハッキリ説明できない様子でした。
なんだかモヤモヤしましたが、特に私の意見を主張することもなく
その授業は終わりました。
そして、現在。たまたまネットでクラムボンに関する記事を見かけたのですが・・・
なんということでしょう!
クラムボンの正体について、未だに議論されているとの事!
試しにクラムボンについてグーグルで検索してみると、
たしかに諸説あるものの、これだという正解は出ていない様子。
私はこの問題に決着をつけるべく、久しぶりにブログを更新する
決意を固めたのでした。
ここから先は
「太陽」が正解である正当性、それから諸説に対する反論を述べていきたいと
思います。
ウィキペディアによると、現在クラムボンの候補とされているのは・・・(以下引用)
英語で蟹を意味する crab や鎹(かすがい)を意味する crampon に由来するとする説、アメンボ説、泡説、光説、母蟹説、妹のトシ子説、全反射の双対現象として生じる外景の円形像説、「蟹の言語であるから不明」とするものや、蟹の兄弟にとって初めて見る、やまなしの花につけた造語だったとするもの、kur (人) ram (低い) pon (小さい) という「アイヌ語でコロボックル」、あるいは「解釈する必要は無い」とするもの、人間という説もある。
ありそうなものを抜き出すと
・アメンボ説
・泡説
・光説
それからwikiには載っていませんが
・プランクトン説
というのも有るそうです。
・・・太陽がない!トシ子って誰やねん!全く意味がわかりません。
是非、この中に太陽説をぶち込みたい!
というわけでひとまず、太陽が正解である理由を箇条書きで本文と照らし合わせて
説明すると、
全文はコチラから
・『クラムボンは
→水中からみた太陽はおおよそ球形。跳ねる、というのは
水の流れによって揺れる様でしょう。笑う、というのも太陽の表現として
しっくりきます。
・ つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
→魚がカニの上にとどまる事で太陽が隠れてしまったのでしょう。
隠れたから死んだ、というのはカニの幼児性から来るもの。
いないいないばあと同じ原理ですね。
・ 魚がまたツウと
『クラムボンはわらったよ。』
→魚が居なくなり、太陽がまた見えるようになりました。
その後、光に関する情景の記述が続きます。
本文を読めばこれは太陽が再度川底を照らしたのだということは
よくわかると思います。
また、クラムボンという造語も太陽にはぴったりの語感ですね。
他、諸説に対する反論ですが
・アメンボ説
→唯一魚が来た時に死んだ、という部分では整合性が見られますが、
その後の復活やその他の情景に関する描写とは合いません。
笑った?アメンボをみて笑ったという表現は適切でしょうか。
クラムボンという造語ともイメージが合いません
・泡説
文中で泡に関しては暗い
その後の光輝く川底の表現とは合いません。
また、泡を一度吐いてはいるのですが流れのある川の中で
復活するとも思えません。消えたらそれっきりでしょう。
・光説
光は差し込むものではねたり笑ったりはしません。
太陽とはっきり書けばこれは正解だと思います。
・プランクトン説
サワガニの主食は藻や水生動物。プランクトンは食べません。
果たして彼らにプランクトンが見えているのかどうか疑問です。
これも、魚が現れた際の生き死にに合致するのみで
他に整合性は有りません。
以上を持って、「クラムボン」=「太陽」であると
断言したいと思います!
一応、「クラムボン」「太陽」で検索すれば私と同じ意見の方の
記述を見ることもできますが、どうも少数派の意見でしかないようです。
私としては「クラムボンとは」で検索した時に
「それは川底から見た太陽である!」と出て欲しいのです。
そして、クラムボンに関する論争を終わらせたい。
そんな事を考えながら今回記事を作成した次第です。
クラムボン=太陽!
ということで、今回の記事を締めたいと思います。
次回はニューダンガンロンパV3の感想を書く予定。
乞うご期待!
期待してる人が居るかはしらんけど!
http://amzn.to/2jRS4yR