ありのままの自分でいる

 

それを頭で考え出すと

難しいこともあります。

 

 

先日、ヨガをしていて

ふと思ったことがあって。

 

「からだはいつもありのまま。」

 

自然が人の働きとは関係なく

いつでもそこにそのままに

あるように、

 

からだもまた、

人知を超えた働きで、

細胞の一つ一つが調和し、

生命を作り出し続けています。

 

リズムを持って

拍動し呼吸し

 

破壊と再生を循環しながら

季節を巡り、

やがて役割を終える。

 

自然だと感じませんか?

 

 

私たちは「からだ」という自然

に宿った命としてここにいる。

 

 

ヨガを始めたり人の命に

ついてよく感じるように

なってから、

 

心と身体は100%で繋がって

いるのだなと感じています。

 

心のありのままが難しい

と感じる時には

 

身体のありのままを見て

あげるのが楽な時もある。

 

自分が自分の器をどう

思っているのか

どう扱っているのか?

 

頭に合わせてひたすらに

コントロールしようと

いていないか?

 

訴えに耳を貸しているか?

 

心地よくいられるよう

労っているか?

 

鞭打って働かせ続けては

いないか?

 

 

自分の器が好きか?

 

 

大切なパートナーとして

愛し感謝しているか?

 

 

 

こうやって、自分の器で

ある身体に問いかけて

みると、

 

自分でも気づいていなかった

思いグセ、固定観念、

生きづらさ、

制限の与えかた、

 

何となくわかりやすい

気がするのです。

 

 

 

実は。。私、先週の週末に

また倒れました。。苦笑。

 

何だか、、

 

もう逃げられない。

自分の「身体=心」からは

逃げられない。

 

そんなことを強く強く

感じたのでした。

 

心の声のままに生きる

という沸々と沸き続ける

思い、

 

それとは裏腹に

今までの生き方通りに

環境に合わせて

動いてしまうことに

 

身体は猛烈に反発している。

 

無理しているつもりはない、

いつも通りに動いただけ

 

の私に、

 

 

「人ができることでも

あなたにできないことがある。」

 

 

と、身体=心さんからの

メッセージでした。。笑

 

そしてこの声を聞き続けて

あげるには

丁寧に自分に向き合い

続けること、

 

今この瞬間に感じて選んで

あげることしかなくて。

 

私たちは自然だから、

ルールやルーティンで生きる

ことはできないのかも

しれない。

 

いつもありのままな身体。

 

生まれる前から選んだ身体。

 

ずっと病弱で少し歪んでいる身体。

鏡に映る姿も美しくはないけれど

最近はそんな私が好きです。

 

そして感謝、感謝の日々です。