生きるのに

 

理由も目的もいらなかった

のだなぁ。。

 

とこの頃よく感じます。

 

 

私たちは、

 

生きるために

死なないために

 

命ある限り成長するために

 

常に理由を探します。

 

目標や目的とも言います。

 

それはいつも今以外の

どこかにあるはずのもの。

 

 

人が座右の銘を好んだり

 

企業が成長なくして存続なし

的なことを言うのや

 

精神世界でのカルマや

 

道徳的な因果応報などの

考え方も

 

もしかしてそこから

きているのかな?と。

 

 

生きる理由がなくなったら

死んでしまうのではないか。。

 

実際に死ななくても

精神的な死が訪れる

ような恐怖。。

 

私が実際に幼い頃から

感じてきたこれらの感覚の

おかげで、、

 

私の人生はとても

波乱万丈だったように

思います、笑。

 

だからこそ探し続けました。

 

楽しむために生きよう、も

成長するために生きよう、も

結局、同じことでした。

 

理由や目的を探している

うちは、

 

今に深く満足して

幸福感で満たされること

にどこかで躊躇してしまう。

 

だからいつまでたっても

自分を認め切ることが

自分をすっかり愛し切る

ことが難しかったのかも

しれない。

 

それをすれば

自分をなくして命自体に

降参することにも感じる。

 

私がいなくなる気がする。

 

だからその恐怖を克服

するために

悟りを得るために

 

元々私なんていなかった

すべてが私なんだ

 

というメッセージに

出会ってひとときの安心

を得ようとしました。

 

それも理由の一つ。

ストーリーの一つ。

 

 

でも、本当はいつだって

すべてはただあるがまま。

 

「今」以外のどこにも

理由はないし

 

「今」以外に留まることも

目指すこともできない。

 

 

今笑えばそれでもう

大丈夫だったり。

 

今泣きたければ泣けばいい

だけだったり。

 

今を感じることに

今を生きることに

理由はいらない。

 

そして理由や目的や使命が

あるからこそ

 

理由のいらない幸福を

感じることができる。

 

なんだかとっても深い

ところで感じています。

 

 

それじゃだめなの?!

こっちが本当なの?!

 

成長できない?

豊かになれない?

悟れない?

 

とどこまでもどこまでも

探し続けるのはもう終わり。

 

 

今自分を愛して生きるか

 

いつかの自分を愛する

ために生きるか

 

だったら、もう

今を生きることに迷いは

ありません。

 

味わってきたすべての今に

感謝しかありません。

 

 

今まで知ることのなかった

軽やかさで

そして同時に今までにない

ような深さで

 

この世界を私を愛おしく

思う今日この頃です。