ここまで科学的でないと、ある意味で「科学のお札 」に近付いている気がするのですが、それでももう一歩下がって考えますか?そうすると、科学的であることをキャッチコピーにしてメリットをアピールすること自体が困難になると思うのですが。


シリーズ(7) に書きました。今回は、予告通り「もう一歩後退した内容」を書いていきます。それは、「習熟プロセスが科学的である」というアピールについてです。


 ニセ科学。

幼児への科学教育(11) でも紹介しましたが、例えば、「声をかけると水の結晶に変化が生ずる」というもの。「観察不能な変化が生ずる」と言っているわけではなく、「観察可能な範囲」で、水の結晶に明確な差異が生ずるという主張です。

 実際に、そのような現象が観察できるかどうか。同条件で、現象が再現できるのか。ポイントはそこですね。

 明確な差異が出るはずなのに、再現性を持って観察できない。実現できない。だから科学的に証明できたとは言えない。「科学的かどうか」を問う意味がある。そういうことです。


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 さて。これを踏まえて、習熟プロセスが科学的であると仮定した「科学的学習法」が対象とする「メニュー」について考えてみましょう。例えば、機械的な記号の暗記としての足し算や、九九。

 当blogでは何度も書いていますが、「これらのメニュー」はある年齢に達すれば大概の子供ができるようになります。そう小学生のうちに、できるようになる。

習熟プロセスが科学的か否か!?」などとという「命題」を大上段に構える間もないくらいアッサリと習熟してしまうメニューです。

 これは困った。多くの子供が習熟してしまうメニューなので、その習熟プロセスが「科学的だ!」と言い張る意味合いが薄いですねぇ。それこそ、「科学的だ!科学的だ!」と繰り返し絶叫することにより「お札」として使用することになる危険も出てくる。「科学」という言葉を思考停止でありがたがる人達に対して。


 じゃー、どうすればいいのよ?

答えは前回書いた通り。数多の習熟方法の中で一番(と言わないまでも秀逸であること)を「科学的」に証明する。習熟度を数値化して、科学的に効果を立証してみせる。あぁ、これは困難だと書きましたね。

 立証できないのならば。

少なくとも「科学のお札」にしないためにも、最適な方法かどうかは科学的に証明されていない、と目立つところに書いておくとよいですね。あと、英才児や、賢い子になることも科学的には証明できないって。紛らわしいですから。


 さぁ、更にすすみましょう。

ここまで、習熟プロセスが科学的であるという仮定で書いてきましたが、本当に科学的と言えるのでしょうか?わざわざ、「科学的」「科学的」と連呼するような業者さんであった場合、そこにも気をつけなければいけません。誤解がないように書きますが、習熟プロセスが科学的であるならば、「そうであること」自体には別に異議を唱えるつもりはありません。上記した「紛らわしさ」はお腹いっぱいですが。続きます。