こんにちは。

にほんブログ村の幼児教育カテゴリーに、数年前から出入りしている「詭弁八女菜代」と申します。当然、「考えるなどない」発言の人もよく知っています。幼児教育カテゴリーに、「考える」「思考する」「イメージする」といった内容の書き込みがあると、「考えるなどない」というようなことをすぐに書きこんでいたあの人ですよね。

 そんな人が。「思考などないのだ」と言っていた人が。過去の発言をそのままに、「自分で工夫して解き方を見つけ出すこと(考えることですよね)」を奨励したり、「思い浮かんだことを具現化している」などと書いていると知ってショックを受けました。彼はいったいどういうつもりなのでしょうか?

 という質問が届いたという「架空の設定」で、今回は話をすすめます。全てフィクションですが、考えることができる人は、思いを巡らせてみてください。


 「詭弁八女菜代」さん、コメントありがとうございます。当blogは、我が家のファンタジスタを日常を思考するような子供に育てることをメインテーマにしてるので、思考に関する内容の記事をよく書きます。そのためか、「ファンタジックな文章、あるいは感動的な表現でいくら語ろうとも、考えるなどないのです」などと標的にされて書かれることもありました。

 詳細は過去ログで見ることができますね。blogでの、オープンな発言ですから。


 え?

消されたり、修正されたりするのでは?

そんなことをしたら魚拓 (リンクが貼ってあります)と比較されて、「隠したいこと」が逆にばれますよ。


 しかしながら。

そういう主張は別にいいんですよ。どのような主義心情を持とうとも、それは自由ですから。当方としては、その反対に「こういうものが考えるですよ」と書き続けるだけです。


 そして。

そういう過去の主張をそのままに、「工夫するのが・・・」だの「思い浮かんだことを・・・」だの平気で書いていることを知れば(わたくしが普段読んでいなくても、わざわざ教えてくれる人がいたりします)、驚きをもって、そのことについて書くわけです。自由にね。ただそれだけのこと。


 さて。

算数の問題を暗算で答える。詰め将棋の問題を、実際に駒を動かさずに解答する。今日のお昼に何を食べるか決める。


 そのために、脳内で考える。

「考える」という言葉が当てはまる概念は実に広いですねぇ。そして、考えた内容、プロセスは、それを頭の中だけで行ったとしても、口頭で、筆記で、行動で、後から具体的に説明(表現)してみせることができます。


 そう。

具体的に表現できることを頭の中で行う、イメージする。


 たとえば。


来年(平成24年)の建国記念日は?と問われたら。


 うるう年を除けば、1年365日。曜日のサイクルは1週間。

365を7で割った余りは1(あるいは、割りきれるには6足りない)。ということは、1年で曜日は1日後ろにずれる。

 なるほど。来年の建国記念日(2月11日)は土曜日か。


と言語化して表記できますが、これは脳内で考えた事をアウトプットしただけです(数の概念を十分育んでいれば、幼児でもできることです)。


 え?

「具体的な行為そのものを操作する、制御すると言っているだけだ!」ですって?


 いえいえ、そんな話は関係ないですよね。

いま話題にしているのは、「考えるなどない」という発言についてですから。「考える」「思考する」を「取り扱わなくてもよい」、などという話ではなく、「そのもの自体がない」という発言について、話をしているわけです。


 その一方で。

考える力。考える子供になる教育法。などという看板を見つけると、「何を持って考えると言っているのか」、「どのような教育法なのか」、わたくしは知りたくなります。そして、中には、「え?それが考える?」と思うものも多々あります。しかしながら、だからといって「考えるなどない」などとはいいませんけどね。


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 話はかわって。 

「詭弁八女菜代」さんは「ショック」を受けたんですよね。これは丁度いい。「ショック」という「感情」について考えてみます。「考えた内容」は、以下に書いていきますね。


 ある事象をきっかけに「ショック」を受けたと主張する。でも、「ショック」という「感情」、「心の在り方」には「実像」がありません。「考える」について述べた、あらかじめ存在する具体物を脳内にイメージして操作するとか、イメージ可能な具体的行動そのものを頭に思い描くとか、問題の答えを出すとかいう話とは違うわけです。そのへんのことは、初歩的な問題として、区分けしておきたいですね。


 最後に、質問について。

彼はいったいどういうつもりなのか?

 

 わたくしに聞くよりも直接彼に質問する。あるいは、彼を応援している人たちがいるようですから、そのblogをたずねて聞いてみる。まずはそれがよろしいのではないですか?