約2年前からご縁をいただいている、清瀬市の自立援助ホーム 、「あすなろ荘」。


その「あすなろ荘」の一事業として、2011年4月、あすなろ荘職員であった高橋亜美さんを中心に、アフターケア相談所「ゆずりは」が、武蔵小金井に新たに開所されました。

YOUR BIG FAMILY



YOUR BIG FAMILY






昨年12月末に、「あすなろ荘」と、素敵な「ゆずりは」にお邪魔しました。昨年は年末ぎりぎりまで被災地のことで駆け回っていましたが、クリスマスプレゼントやお正月、お年玉の時期になり、被災地以上に忘れてはいけない、身近で深刻な問題をまた思い返すことが出来ました。


「自立援助ホーム」とは、主に虐待や育児放棄などの理由で親や親戚と暮らせず、なおかつ不登校などを理由に児童養護施設を退所させられてしまったために、生活費や医療費などすべて自分で稼いで支払わなければ生きていけない、15~20才のこどもたちのために作られたホームです。食事作りと相談役の世話人が宿泊し、5名~最大20名ほどの規模のグループホームのようなところで全国に50箇所ほどです。(どこも運営費や食べ盛りのこどもたちの食費などで苦労されていますので、ご寄付いただける方はぜひお願いいたします。)


こちらもぜひご覧ください。自立援助ホームについて

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%AB%8B%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0


高橋亜美さんは、自立援助ホームでずっと職員をされていて、ホームレスや貧困問題に取り組まれている湯浅誠さんらとも連携し、虐待されてしまった子どもたち~若年ホームレス~貧困や核家族の問題~暴力と犯罪など深刻な問題について、ずっと子どもたちに寄り添い、入居者のみならず退出した子たちまで相談支援等をしながら問題提起、発信をしている方です。

亜美さん、そしてあすなろ荘からもうひとり職員になった藤原さんも、本当にお母さん代わりで本当の家族かそれ以上に親身になって、謙虚に自問自答されながらこどもたちのために笑顔をたやさず毎日奮闘されています。


ゆずりはのブログご紹介 

http://yuzurihasunaro.blogspot.com/2011/04/blog-post.html



下記コメントは高橋亜美さんより


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自立援助ホームあすなろ荘の一事業として、
アフターケア相談所「ゆずりは」が4/18より
武蔵小金井で開所いたしました。

ゆずりはを相談拠点とし、
アフターケアに困っている施設へのフォロー、退所者への直接支援、
支援を提供してくださる方々からの資源収集、虐待防止に繋がる地域交流…
施設退所者への支援を軸に、
様々な垣根を越え社会的養護の発信の場にもしていきたいです。

私どもの活動は、支えてくださる支援者の方がいてこそ、
より大きな力と声を持ちます。

応援してくださる皆さんのお力とお知恵をお借りして、
尽力してまいります。

お近くまでお越しの際は是非お立ち寄りください
 

ゆずりは  東京都小金井市中町2-10-10-102  TEL 042-315-6738

(高橋)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2009年12月のライブイベントの際、亜美さんが読み上げてくれた、援助ホームにいた子が書いた詩と亜美さんからの提言を再掲させていただきます。

「嘘つきと呼ばれた少年の話  

僕は嘘つきだと云われて育った  両親からも学校の先生からも友達からも  皆僕を嘘つきと呼んだ

気付くと僕は嘘をついていた
自分の口が違う人の口になったように嘘が次から次へとスラスラとでてきた
「こんな嘘云ってどうするんだ、その嘘のためにまた大きな嘘をつかなくちゃならないんだぞ」
と僕は僕につっこみながら、でも嘘をつくことは止められなかった

僕の一番幼い日の記憶は5歳の頃のこと
お父さんとお母さんと僕の3人で飛行機に乗ってアメリカを旅行したこと
でもそれは僕の中で作り上げた幻想だったと小学校2年の時初めて知った
旅行のこと友達に話したら「どうせまた嘘だろ!」って云われたから、お母さんに聞いたんだ
「お母さん、僕が5歳の時家族3人でアメリカに行ったよね?!」
「はぁ?アメリカどころか家族で旅行なんて一度だってないよ。あと3人って誰のことを言ってるの?」
「お父さんとお母さんと僕の3人だよ!!」
「お父さん?お父さんはお前が生まれる前に家を出て行ってるんだ!お前はお父さんを見た事も会った事もないんだよ」
アメリカ旅行は僕の中でたった1つ嘘じゃない出来事だったのにそれも嘘だった
アメリカ旅行はたった1つのお父さんと過ごした記憶だった
アメリカ旅行はたった1つの家族で過ごした僕の楽しい思い出だった
自分が自分に嘘をついていたことに僕は何年も気付くことが出来ず愕然とした

僕にとって家は自分を閉じ込めて生きなければならない場所だった
いつだってお母さんは怒っていたなぁ。怒ってる顔しか思い出せないなぁ
怒って僕を叩いたり、殴ったり、蹴ったり、裸にしてベランダに一晩中正座させたり、パンツだってはかせてもらえなかった、トイレだって行かせてもらえなかったよ…それは毎日毎晩のことだった
地獄があるのならこんなふうなのかな、僕ん家よりは地獄の方がいいよね?神様…
叩かれながらそんなことをいつも思っていた

腫れ上がった顔で学校に行くと友達は皆びっくりして心配してくれた
でも友達にはお母さんに殴られたなんて絶対に言えなかった、言いたくなかった。何でだったのかな小学1年生の僕のプライドだったのかな。お母さんが僕を傷つけることを僕は認めたくなかったのかな
先生、先生にも言えなかった。でも先生には気付いてほしかった。
「先生僕にもっといろんなことを聞いてよ、僕からこの腫れ上がった頬の理由を聞き出してよ、先生にしか今の僕を助けられないよ、先生僕の家は地獄だよ、先生助けて、先生助けて」
心の中で僕は叫んでいた、いつもいつもいつも

でも僕は声にして「助けて」とたったの一度も言えなかった。僕の口から出る言葉は嘘ばかり
そして先生は僕を叱る。「何で嘘ばかりつくんだ、嘘だけはつくな!」「嘘をついたら誰も君を信じてくれないぞ!君を大切に思ってくれないぞ!」
そうなると僕は先生に酷い言葉を言ってしまう、暴れてしまう。席に座って授業なんて聞いていられなかったよ、自分が自分でコントロール出来なくなるんだ。

僕の口から出ることは嘘だけだった
嘘は僕の抱く幻想、唯一の逃げ場だったからだろうか
僕のおかれた現実では決して起こることのない嘘をつくことで、僕の世界が一変することを心のどこかで求めていたからなのか
引っ込みのつかない嘘をつき親や先生に叱られ、ときに罵倒され、友達には呆れられ見放されていった
それでも僕は嘘をつくことが止められなかった

嘘をつくことを止めることが怖かった

だから小さい頃の僕を知っている人は皆僕のこと、「嘘つき」としか覚えていないよ
嘘ばっかりついてる奴がいたなぁって、何かあるとすぐキレる奴がいたなぁって

僕自身も小さな頃の記憶は「僕は嘘つきだった」ってことしか思い出せない」



以下、亜美さんより


「子どもが子ども時代にしなければならない思いっきり大切なこと12こ 

 1 思いっきり笑うこと  
 2 思いっきり泣くこと
 3 思いっきり怒ること  
 4 思いっきりドキドキすること  
 5 思いっきり食べること  
 6 思いっきり遊ぶこと
 7 思いっきり歌うこと
 8 思いっきり好奇心を持つこと  
 9 思いっきり友達とケンカすること、そして仲直りすること  
10 思いっきり大人に大切なこと・正しいことを教えてもらうこと  
11 思いっきり大人に優しく大切にされること  
12 思いっきり思いっきり思いっきり愛されること  
 
大切なこと12こは、子ども自身の力ですることではなく、私たち大人が 子どもたちに保障していかなければならないことです。
まっさらで柔軟な子ども時代に、人間が本来もっているシンプルな軌道を体と心に作っていくことが何よりも大切で不可欠なことだと思います。
私たち大人がぶれないように、見失わないように…   
いつだって自身の心に確認していきましょう 」

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共に生きていく上で最低限ルールは必要だとしても、こどもたちが押さえ縛りつけられることなく、人を信じられるように、自由に思いを表現し、怯えることなく飢えることなく安心して眠り、明日を迎えられるように、たくさん笑い愛されるように・・・、できることをして、YOUR BIG FAMILY 、そしてMY BIG FAMILY を目指したいと思います。


新たな1年の幸運を祈って、あすなろ荘入居者とゆずりはに通うこどもたちの中で困窮している12人の子どもたちに、生きていくには全然足りない額ですが、希望の種をお届けしてきました。



最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございます。