彼は当時から一味違っていた。

 

映像の専門学校で出会った奴。

彼は当時ある有名なバンドのメンバーでもあった。


ある日学校に来ると、昨夜は寝てないんだよね、アイドルの歌のレコーディングミキサーのバイトしててさぁ。ベースも弾かされちゃったよ!

などと言って、なんでこの学校にいるのか?そっちで食えるんじゃないのか?とも思ったものだ。

 

当時ある事情があって何日か僕の下宿に滞在したこともあった。


そして彼は専門学校卒業後間もなくアメリカに渡った。

音楽関係の仕事がしたかったんだろう。

後に話した時、ZZトップのPAなんかもやったんだよと自慢げに言ってたのが懐かしい。
音楽関係の仕事を探しつつ飲食関係でアルバイトをし、その経験を生かしてその後陶器などの貿易会社を起こし成功をおさめる。

 

僕が仕事でニューヨークに行ったとき一度ランチを一緒した。

知ってる寿司屋に行こうよって美味しいお寿司をごちそうになった。

ランチの後にはエジプト教会を改装して作られた豪邸にもお邪魔して幼い娘さんにも会わせてもらった。

 

そしてその陶器貿易の関係もあって包丁などの刃物を扱うようになる。
刃物は使い捨てにするのではなく、鈍ったらどうするのかを勉強しに日本に帰ってきて有名研師の指南を受けたりもした。

そしてニューヨークに戻るとマエストロと言われるほどになった。

アメリカのテレビ出演もありDVDも出版されるほどだった。

 

こんなに早くこんなことになるとは夢にも思わず、疎遠になりがちだったことを悔やむ。

 

今となっては何がどうなって彼が亡くなってしまったのか知る由もない。

それも、2年半も前に亡くなっていたとは。

悲しい!悔しい!つらい!

なんと言っていいかわからない。