フロイトは言った。大人とは働くことと愛することである。反対、愛することと働くこと、だった(;^ω^)

私は、不適切な現在の状況だ_____

生きる価値観を、どうしたら持てるのだろうか

(上述の定義でいくと、愛することや働くことをしないという選択をすることは、大人として生きることを自らは選択しない、という……心の声ですね)

フロイトは、上顎がんで度重なる手術をし、疼痛のため、ヘロインを常用していたようだ…大変な中…生きてきたんですね

 

実存は本質に先立つ。サルトル

本質は、職業や社会的役割のようなものと、私は受け止めています

人間(実存)は、将来何になるかは、定まって生まれてはこない。それは自由であり、初めは決まってはいない。

フロイトが上記を言ったのは、がんになる前か、すみません調べていません

フロイトの実存は、上顎がんを患い、疼痛と鎮痛薬の副作用で苦しんでいたかもしれない

フロイトの本質は、がんによって苦しむ個人の世界とは、もしかすると違う大人の社会的な役割の世界も存在しているということを、伝えたかったのかもしれない

私は子育てを始めた時、わたしひとりだけの人生ではないと、押し潰される感覚がありました

子育ての責任に、完全に参ったのだと思います

道徳的にはばかられるが、大変な本質だった
 

大変な本質(ここで言う大変な本質は、子育ての責任という感覚を、私的に指しています。子どもそのものでは、全くありません)。

 

蓋を開けてみたら、大変だと知った本質

 

大変だから、責任を放棄する?本質を放棄する?

大人という本質ではなく、子どもの段階で止まる選択をする?

 

こうなると、大人の本質を誰もが肯定するかもしれません

 

発達系。

 

発達系は、太古の昔から考えられてきた存在でした

 

周りを困らせてしまう性格パターンは、古くから存在していました

 

多数を占める人格系と対称の発達系は、良好な人間関係を築くために、表面に人格系を備え、核に発達系を大切にしてきました

 

核の部分では、発達系の生き方を大人になっても、大事に大切にしてきたのかもしれません

 

(人格系は反対に、発達系と良好な人間関係を築くために、表面に発達系をつくり、互いが努力してきました。もちろん、衝突の歴史もあったのだと思います。同じ系でも、心の傷つきを再燃し、想起させるような相手に対し、怒りという不満を見せてきたかもしれません。みなさんの周りでは、いかがですか?)

 

私が、今自分に言えることは、大人の本質を、私はしていないかもしれないと

 

子どもの本質で存在していると。発達系の核を大事にしているかもしれないと

 

ただフロイトの示した、大人としての側面≒社会的役割の側面が、

 

個人の心の空虚感を埋め、穏やかな安寧をもたらすもののように、感じる

そして子どもは、無意識の純朴な尊い世界を見せている

私たち大人の偏りそうな意識を、まるでバランスを取るかのように_____