「Entanglment Hirasawa YUA SINGS HIRASAWA」 | 平沢唯愛のゆあもでる。

平沢唯愛のゆあもでる。

トランスジェンダー(MTF)テクノ歌手、平沢唯愛の公式ブログです♪

私の自作となる
平沢唯愛による、平沢進師匠カバーCD」

「Entanglment Hirasawa YUA SINGS HIRASAWA」

に向けて、
JASRACとイーライセンス(Nextone)
から許諾を受け、
著作権料の請求書が漸く届きました。

勝手にカバーしちゃうわけじゃないねん。
ちゃんとやるねん。

私は長く言えば、
中学生の時にNHKでP-MODELを見て
「日本のロック」
いや。ロックそのものかな^ - ^
に目覚めてからと言うもの。

だって私は小学生から
図書館と書店と博物館と美術館だけを
日曜になると巡っていた子供だったから。

音楽は2歳から叔母がピアノの先生で
ピアノを無理矢理やらされていたから
大嫌いで(笑)ww

まあでもブルグミュラーまではやったんですよ
それでも(笑)

そんなところに、進さんのP-MODELは
「美術館で会った人だろ!」
という曲をTVでやりやがった!(失礼)
なに~!美術館だと~!!
と、私は当時のレンタルレコード屋さんに
通うようになったのです。

私は洋楽の
「歌詞がわからん曲聴いてなにがおもろいねん?」
という主張のもと、
そのレンタルレコード屋さんにある
日本のロックを「全部聴きました」(笑)

もー。プラスチックスから、ヒカシューから。
はたまたエスケンから大瀧詠一から
あがた森魚からジューシーフルーツから
一風堂から頭脳警察から坂本教授から
キャロルからなんもかんも。

その頃はアナザーゲームを毎日聴いてましたね。

まあ、それはいいんです。

高校になって、進さんはスキューバの
カセットブックになった頃に私は離れました。
「メシ喰う。喰わない」らへんの方に
私は傾倒したからです。

スキューバあたりの心象世界はまだむずかった。
高校生の私には。

それから約20年後。

私は麻薬で廃人になっていました。
いろいろあってね(笑)
麻薬は止めたけど、1日ボトル3本飲むアルコール
依存所。

精神科の薬で体重100キロ。一人で箸も持てない。
電波に追われる日々。
統合失調。極度の鬱病。パニック障害。
幻覚妄想。精神病の塊です。

医者も「もうあなたの脳の機関は疲弊して
壊れましたので、一生意欲というものは出ない
と思って下さい」と言いました。

私は生きていても仕方がないと思い首を吊り、
死ななかったけれど家族は出て行きました。
実家で母にご飯を食べさせて貰う日々。

そんなときにですね。
叔母がお見舞いで、進さんの
「ソーラーライブ」のビデオをくれたんです。

2万枚近くあった部屋のレコードやCDに
何の興味も持てない中で、

何故か進さんの「ソーラーライブ」は
私には届きました。

最初は「ヒラサワかー。。」
なんて言いながら見たんですけどね(笑)

だってさー。
もはや私が知るヒラサワが、
一人ぼっちになってんだよ!

しかも、それでも全部の楽器を忙しそうにこなし、

しかもだよ。太陽光だけで、
真昼間に公園のステージでライブやってたんだ。
太陽光で演奏するために。

これがテクノだろ?パンクだろ?プログレだろ?
ニューウエーブだろ?ロックだろ?

私のチンケな常識なんか
吹っ飛んだんだよ。

それから、どうしても進さんとP-MODELの
CDが欲しいから、歩けないし、外出したら
パニックに襲われる中で、

私は「右足。左足。右足。左足」と唱えながら
広島のタワーレコードまでなんとか歩いて
P-MODEL OR DIEのCDを買いました。

そして、もう一度生きて音楽をしようと
思ったんです。

それからジムに通い、80キロまで体重を落とし、
その後、単身無理矢理東京で就職し、
菜食をして60キロまで体重を落としました。

進さんはインターネットで活躍していたので、
インターネットというものを手に入れ。
薬をまだ携えながら、ICE-9と初回の核P-MODEL
のライブに行きました。

私は彼の勇姿を見たから、

だから今の私があるのです。

まったく生きていて良かった。

然し乍ら。ですな。

平沢進の歌詞と境地を本当に理解している人が
この世にどれぐらい居るでしょうか?

私も大部分はよくわからなかった。

でも。

私のそれからの10年は、勿論私の10年ですが、

そんな中で、インターネットの丘の模写の上で、
ニューロンの街角も、真実の街角も見て。

残骸の都市を捨て、いつか見たような街が消え、
果てないという声も聞き、

見たこともないキミを連れて
2年間山にこもり、一晩もかけて見せる
いくつもの世界も見て。

マレーシアもタイも巡り、セイレーン達に会い。
自らもアーキタイプエンジンとなり
幾晩も眠らず越えた日を過ごし、

冬のように生きても黄金の船は来て。
突風のワゴン車は来て。

やっと。
私でもカバー出来る曲が出来たかな。
と、思うに至り。

稚拙ながらも、「音楽」なんかじゃない
ヒラサワが少しでも
私なりに歌えるかなと思うに至り。

カバーアルバムを出させて頂く運びとなりました。

私は「音楽家」が私のコアではありません。
歌というのは「何を歌っているか」だと
私は思っています。

ですから、その辺は加味して頂いて。
師匠のお耳汚しにならなければ。

師匠に
笑ってさえもらえれば(^ω^)

私はそれで、いいのです。

以上。

新作レビューでした♪💖


{D36673D2-4869-41A8-933F-35FECEE291B7}

{D09CF11C-A38B-4010-ADEE-D6F0B8142A84}

Yua Hirasawa official website

平沢唯愛 音妙寺 おんみょうじ