ブログに書いてある役に立ちそうな情報、
なんだか賢くなれそうな教材。
そういった情報の波に飲まれて、
いつの間にか楽しむことを忘れていました。
このようなことを以前の記事で書きました。
おうち英語って、100人100通りだからこそ、
うまくいっているように見えるほかの方の記事についつい飛びついてしまう。
やっていないことが私の努力不足、
足りないからまだまだなんだ、
もっと何かを足したら、きっと。
強迫観念みたいなものがどんどんと。
もしこれが日本語なら、まだお話が足りない子に文字を教えようとしないはずなのに、
英語となると忘れてしまう。
「だって、日本語の波がくる小学校に上がる前に自力読みができるようにしないとってどこかに書いてあった!!」
「だって、たくさん読めているあの子はきっとこれから先も本から語彙をたくさん拾って英語の世界を広げていくに違いないのだから!!」
あれもやらないと。これも必要だわ。
ゆうきぃの発達段階なんかそっちのけで、年齢から逆算して今これしないと、と。
ブログって流行りがあるように思う。
一部のブロガーさんが書いているとそれを見た周りも取り組み始めて、記事にして…
気づいたら多数の方が同じことを書いていて、
なんだか、それが王道のような気がしてきて
やりたい!!それを取り入れればきっと我が家も!!
となりがちなんじゃないかなと思ったり。
だって、賢そうなお宅のいい感じの取り組みってとても効果的に見える。
うちに足りないのはこれだわ!!と思う。
うちもこれをやればきっともっと上達するわ!!と思ってしまう。
でも、その効果的に見える取り組みだって、実際どのように継続しているかはわかりにくい。
ブログって断片的で、一部を一つの視点から切り取っているだけだから。
しかもそのブロガーさんも試行錯誤の真っ只中。
結論が出ているわけではない。
本当はもう必要ないと判断してやめているかもしれない、
もしかしたら違ったと思って方向転換しかたもしれない、
はたまた挫折したのかもしれない、
でもそんな経過報告はほとんどないことが多い。
『○○始めました~!すっごくいい感じ!』
という記事は多いけれど、
『○○は辞めました。こんな理由からです。』
という記事は少ない。
うまくいっていること、成功していることはオープンにしやすいけれど、
合わなかったこと、挫折したこと、嫌になったこと、は書きにくい。
そのことに取り組んでいる他の方の気分を悪くするかもしれない、
自分の不出来をさらすだけかもしれない、
だったら書かなくてもいいか。
そうなりますよね。
いい感じのことは書きますけれど、批判になりかねないことはそうそう書けません。
でも、我が家だって取り組み始めたことをそんなに順調に進めているわけではありません。
それは他のお宅だってそうなのかもしれないですよね。
けれど、はかり知ることはなかなかできない。
ところで、会って話すと莫大な情報量。
その人の全身から得る情報って、ブログの文字とは比較にならない情報量なんです。
あー、あれもうやってないのよ。
あー、あれは合わなくてさ~。
そんな話、聞ける。
失敗談も、聞ける。
「面と向かってじゃないと怖くて話せないよ。」
と聞いたこともあります。
そりゃそうだよね。そうだそうだ。
うん、ブロガーっていうのは幻なのかもしれない。
結局、何かを足したからいいというのではない。
必要なもの以外を切り捨てる勇気も大事。
その取捨選択はやはり親の選択眼にかかっているのだけれど。
生で会えば会うほどヒントは得やすいように思います。
(ブログに振り回されないで!)
我が家で言えば、
GSA(ウェブレッスン)は辞退しました。
らずきっずもストップしています。
Jolly phonicsはレッスンを止めて、ゆうきぃが気が向いたときに眺める程度。
ORTはStage3でとめています。これは読み聞かせは続けています。
DWEを車内でかけることは継続中。パルキッズぷりすくーらーのかけ流しも継続中。
(こういったことも、きっと普段だったら書かなかったでしょう。)
現在力を入れているのはゆうきぃの好きなもの探し。
英語で楽しめる娯楽探しです。
今のところドラえもんを英語で見ることは大好きなようです。
ダイノチャージもまぁ見ます。
ゲームや絵本、映画といった娯楽でゆうきぃが気に入るものがあればいいなと思っています。
夏休みが終わったら、英語でただただ遊んでくれるプライベートティーチャーを探す予定です。
ただただ楽しい、を英語で経験してほしい。
その経験が不足している。英語で楽しいことができるという経験が。
ただただ楽しい
今更ながらゆうきぃにはこの原体験をしてもらおうと思います。