今日ね、昼間はホームパーティーにお呼ばれして、めっちゃ美味しく~~楽しい時間を過ごしたのね。
いろんな話したんやけど、母もいたからお父さんとの話にもなって。久々にいろんなことを思い出していた。
お父さんは2年前に亡くなったんやけど、私が高校生の時から人工透析しててん。約20年位。
人工透析って、知ってる人は知ってはると思うんやけど、うちの父は週三回、1日に3~4時間くらいしてた。働きながら、会社の理解も得ながらね。
だから、やっぱり体がしんどい、そういうお父さんをいっぱいみてきた。私は大学生から家を出てたから帰省したときとかが主で、一緒に暮らしていた時間は短かったけど、子供ごころに罪悪感を感じてた。
透析をしてるってことは、それをしなかったら死んでしまうってこと。家族で唯一血液型の合う私の腎臓を移植することもできたけど、お父さんはそれを望まなかったし。首を縦にはふらなかったね。
だから、そんないつ死んでもおかしくないお父さんを置いて、離れて暮らしている自分に罪悪感があった。
お父さんやお母さんは大阪やったから。私は東京でね。
なんつーか、そう感じさせる人やったなって。
どう思ってたかは知らんけど。
でも、だからこそ私はこう思ってた。
お父さんに何かあったとき、自分は死に目に会えない距離にいる。でもそれを選んでるんやから今いる場所で精一杯生きよう、って。
けなげやったなぁー。よね?
それで、さっき、ふと、もーお父さん、いけてなかったな~~って思った。子供に罪悪感感じさせたらあかんやろ~~って。
『お父さん、病気やけど、それは自分の責任でやったことやから、お前たちは好きに生きろ。俺も精一杯生きてるからな!!』
そう言って欲しかったなぁって。
そう言ってくれてたかもしれないんやけど、そう感じさせる人ではなかった。笑。ごめん、お父さん。
でも、ふと気づいた。
しかも、さっき!!遅っ。
お父さんが亡くなってもう2年、私が抱いていた罪悪感はもうなくなっていいんちゃうか、って。
お父さんが亡くなったことは、私へのメッセージだったんだぁって。
『俺のことはもう心配するなよ。お前の人生を生きろよ。』
『ただし、頑張り過ぎるなよ』
(これは、父の私に対する口ぐせ)
あ~~泣けた。
お父さん、この記事読むかもしれないから、お父さんの大好きな家族の写真のっけとこ♡
ありがとね、お父さん。