自分はどうして汚部屋になったかの原因を知る | おうちのぶろぐ

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「片づけで人生は変わる」を実践中。

1人も好き。お友達といるのも好き。

1人でおうちの空間を快適にするのを考えるのはもっと好き。

36歳にして汚部屋脱出。そこから目覚めた新たな人生。

日々、よりよい快適自分空間をめざして綴ってます。





昔っから片付けが嫌いだったワケではない。

来客がある時はそれなりに綺麗にしていた。

家も買ったばかりの時は毎日せっせと掃除していた。

その歯車が狂い始めたのは引っ越して3年目くらいからだ。

もしかしたら、子供が幼稚園に入園したくらいからかもしれない。

気付くと物は増えに増え、

私の時間を奪っていっていた。

でもやめられない買い物。

捨てるには捨てていたが、

増えていた。



捨てる量より、入る量が格段に多かったのだ。

物は勝手に増える事はない。

だから増えた原因が必ずある。

片付けを依頼して、どんどん物を絞り込んでいった時、


自分が心から愛でて買った物が意外に少なかった事がわかった。

1.「お得感」で買ったもの

2. 友達が「良かったよ」っと言ったから買ったもの。

3. 見栄で買ったもの。

4. その場しのぎで買ったもの。

5. 良く考えもせず、あったら便利かな?と思い実家から持って帰ってきた物。


虚しささえただよう。

不安を物で埋めていた。


自分は、自信がある女だと思って生きてきた。


けど、全く逆だった。

「物を持つことで自信をもったような気分」になっていただけだった。

本や雑誌の「自己肯定感、自尊心が低い人間の要素」に書かれている項目に、自分がほとんど当てはまっていて驚いた。

まさか…だった。

自分はそんな事ないと思っていたのに。

見事に、形になって、物が蓄積されて、

目の前でその自信のなさを見せつけられている気がした。


私は他人のものさしで生きてきてしまってたのだ。

自分が良かれと思ってやっていた事も、「自分が」心からやりたい、欲しいと思う事ではなかったのだ。

私は自分をまず好きになってあげようと思った。

自分を大事にしようと思った。

「自分を大事にしてます!」「自分が大好きです!」と見せかけの自分をなくしたいと思った。

「他人にどう思われようがいい」って口では言っているのに、他人の言動が気になる自分。
自分を良く見せようとするオシャレ。

自分が心から望んでやった勉強でない事に対しての周りからの多大な評価。

評価される度になんだか素直に受け入れられない時もあった。


「人は人、自分は自分!」と言ってる割には、人がいい物を持つと羨ましく、欲しくなる。

強がっている人間程弱いのだ。

そして自分は弱さの極みだった。

自分があまりにもかわいそうになってきた。

納得ができた。

私は自分の軸がスカスカだったのだ。

ずっと他人の軸に合わせてきた自分。

合わせてるつもりは全くなかったつもりだったのに。

つもり、つもって、感覚がなくなって、

他人の軸で生きている自分にも自覚がなかった。

周囲が自分と溶け混んでいるように見えるのは錯覚だった。


自分が嫌われないように合わせていたのだ。

そして、自分が嫌と思う人は受け入れる姿勢も見せず逃げていたのだ。

表向きは、「無理して嫌な人と付き合う事ないよ」

と、人に偉そうにアドバイスするくせに、

自分は逃げているだけだったのだ。

物をどんどん捨てていくうちに、

自分を固めていた鎧が

ポロポロと剥がれてくる気がした。


自分が今まで、知らず知らずのうちに痛めていた心をもっともっと癒してあげたいと思った。


私は今自分を好きになろうとしている。

すると、情報や人、

不思議とそういう人が集まってくる。

「今度は自分が選ぶ物」や、「生き方」を自分で選択できるようになりたい。




片付けをしてから、自分がいいエネルギーを与えてくれる方向に勝手に導かれていく。

だから、私は片付けが自分を救ってくれたと言っても過言ではないと思っている。

増えて捨てていった物たちが、私に教えてくれたのだ。

さよならした事で、物が教えてくれた事が山のようにある。

物と引き換えに、「私」という価値を
置いていってくれたのだ。
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ほんとに片付けの事←自分を大好きになって人生を皆さんに心から楽しんでもらいたいと思っています。

私もまだそのプロセスの途中
皆様からもご指導沢山お願いいたします!

ぜひ応援してください。
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