不倫の恋の「辛い」が「幸せ」に変わる法則
大人の恋愛カウンセラー ゆっつ♡です
春ですね
昨日は、
初ヒバリの鳴き声聞いて、
初モンシロチョウ見て、
初ツバメが飛んでるの見て、
と、『初』が三連発でした
べっちゃんとお散歩してても、
日に日に道端の小さな花やタンポポや、
つくしやてんとう虫の数が増えてきて、
ほわーんと、じわーんと、
「幸せ💕」を感じる毎日です
私は小さい頃から、
きれいに洗ったヤクルトの容器に
道端で摘んできたお花を飾ったり、
拾ってきた落ち葉をお魚やチョウチョに見立てて
画用紙に貼って絵を描いたり、
ドングリや木の実を使って
おままごとしたり、
そんな風に『自然』に触れてるのが好きで、
『自然』が家の中にもある、というか、
『自然と共に在る』ことが、
とても私を心地よくさせてくれていました
とにかく心地がいいのです
こうやってブログを書きながらも、
外の景色を見ては、
「畑にムクドリがいっぱい来てるなぁー」とか、
「あの雲メロンパンに似てるなぁー」とか、
授業中に校庭ばっかり見てる生徒みたいで、
なかなか書く手が進みません
今ではこんな私ですが、
10年ほど前の、まだまだ『内側の状態』が
整っていなかった頃は、
「こんな田舎は嫌だ
空が見えないほどの大都会で暮らしたい」
「ラスベガスくらいネオンでピカピカな
パチンコ屋さんの隣に住みたい」
って言ってました
今となってはビックリするほどに、
『真逆』を好んでました
その頃の私の『判断基準』は、
『損か得か』だったり、
『役に立つか、立たないか』だったり、
『いかに効率よく』だったり、
『どっちだと都合が良いのか』だったり、
『便利かどうか』だったり、
『どっちが望まれるものか』だったりで、
『物』だけでなく『自分の行動』までも
そんな判断基準で選んでたなって思います
それが今では、
『私が好きかどうか』や
『私が心地いいかどうか』や
『今の私にしっくりくるかどうか』
が、全てにおいての『判断基準』になってて、
そしたら選ぶもの・望むものが、
『子どもの頃に好きだったもの』に
戻っていった
そんな感じがしています
私たちは『内側が整った状態』である
『本来の自分』で生まれてきて、
『お母さん』をはじめとする
人間関係の中で、
「こうであらねばならない」
「こうするべき」って、
『本来の自分』を律するようになって、
「私のこういうところダメ」
「直さなくっちゃ正さなくっちゃ」って、
『本来の自分』からどんどん遠ざかった
『別物の自分』になろうとしてきた
だけど、それはきっと、
『お母さん』に愛されるために、
『お父さん』に可愛がってもらうために、
『お友達』から仲間外れされないために、
『周りの人』から受け入れてもらうために、
『その時の自分』には、
『必要でやってきたこと』だから、
決してダメだったわけじゃない
だけど、
『別物の自分』でいるのって、
正座を続けてたら痺れがきれるように、
窮屈な靴を履いてたら足が痛くなるように、
『疲れちゃう』し『続かない』し、
しんどくなっちゃうし、
生きづらくなっちゃいます
『別物の自分』がダメで、
『本来の自分』が良いとかではなく、
『本来の自分』じゃなきゃダメ
ってことでもなく、
『本来の自分』でいる方が、
無理することも
我慢することもないから
「楽よ」ってことです
その『本来の自分』っていうのが、
『内側が整った状態の自分』なので、
『気づく・許す①②③④』をやってたら、
段々と元の状態に近づいていって、
そのうち気づいたら「あら、楽ちん」と、
『整った状態』に戻っていきます
その『気づく・許す①②③④』を
やり進めていると、
「私って人に迷惑かけちゃ
ダメって思ってるよなぁー」とか、
「すぐ、いい人ぶっちゃうよなぁー」って、
『こうであらねばならないって思ってる自分』
『こうであるべきって思ってる自分』
にも気づけるようになってくると思います
『そんな自分』に気づけたら、
『それも今の自分』だから、
「だって、そう思っちゃうんだもん、
しょうがないよねー」と、
そこも許してあげたらOKです
それを、
「いい人ぶるの、やめなくっちゃ」って
「正そう」とするのは、
『そんな自分』を「ダメ」って
否定することになりますね
それだと、今の『いい人ぶっちゃう自分』を、
『別物の自分』に変えようとするのと
同じことになるから、
かえって自分をしんどくさせちゃいます
『気づく・許す①②③④』は、
『今の自分』を『そのまんま』で
『受け止めてあげる』から、
『自分』を楽にさせてあげられるものだから、
「迷惑かけちゃダメって思っちゃうんだもん、
しょーがないよね」
「またいい人ぶっちゃった
しゃーないしゃーない」
「やっちゃうやっちゃう」
って、許してあげてくださいね
『本来の自分』という
『自分の世界の中心に
自分を置いてあげる』
という『在り方』と『そうじゃない在り方』、
この『そうじゃない在り方』のことを、
『自分の中心からズレる』
なんて言ったりもするけど、
この『ズレる』は、
『ちょっとしたズレ』ではなく、
『俺か、俺以外か』くらいの『別物』で、
だからこそ『真逆』だったりもします
だけど私たちは、
元々『本来の自分』だったのだから、
その『本来の自分』に貼りつけた
『こうであらねばならない』
『こうあるべき』と書いた付箋を、
『許す』ことで一つ一つ剝がしていくと、
中から必ず『本来の自分』が
出てくるようになってます
昔から赤ちゃんのことを、
「玉のような子が生まれた」
なんて言ったりするけど、
あの『玉のような』というのは、
『輝いている』という意味だから、
きっと『本来の自分』は
ピッカピカに輝いてるんだと思います
カウンセリングで、
「自分らしく輝いて生きていきたい」
って言われる方が多いけど、
それは、
『本来の自分』が付箋を剥がして、
表に出てきたがってる
からなのだと思います
中から出てくるのは、
どんな『本来の自分』かな
楽しみですね
ゆっつ
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