第 12回 どこでもドア | お試しブログ

第 12回 どこでもドア

越来村(ごえく村)には、
負け組「おや分」のお墓があります。

彼は、すべての「ひみつ」を知っていたので「命」を狙われていました。そして、越来村(現・沖縄市)の知花城で、自害しました。

彼の名前は「大城勇」といい天秤座あだ名は「鬼大城」、唐名は「夏居数」、諡名(おくり名)→亡くなった後の名前は「越来賢勇(謙雄)」といいました。

彼は、越来村のとなり→具志川村の具志川城(別名・喜屋武城)で生まれました。具志川城の本店は、久米島にあります。

その名前には、色んな暗号が隠れているふうにも見えます。

大城勇の「大」は鉱山氏族・多(おお)氏の子孫が良く使用する文字で天秤座「勇」は勇人→隼人に似ている。そして、あだ名の「鬼」は「犬」に見えます。

古代の隼人は、「鬼や犬」と呼ばれていました。「犬吠埼」の古名は『鬼崩崎』で、天狗は狗(イヌ)や鬼で→天狗=猿田彦も隼人だという人もいます。

鉱山氏族・多氏と水銀の丹生一族、久米氏は天秤座ともに行動していました。久米氏は水銀朱(丹生)による刺青(入れ墨)をしていました。

大城勇の生まれた具志川城は久米島と関係しており天秤座久米島には、古い米(クメ)の発祥地伝説があります。

また、「時代と方向」は違うけど⇔久米島と久米氏も関係している気がしました。

そこには→どこでもドア←がありました。


…―…→


歴代の越来王子は、仏教に帰依する人が多くいました。

おそらく、怨霊信仰をしていたと思います。

越来村にもまた、不思議地名がたくさんあります。
その中一つに「中央と住吉」があります。


…―転載する…→


大阪市中央区には、難波津という国際港がありました。それより昔には、住吉津(すみのえつ)という国際港がありました。

大阪市には、住吉、住之江、墨江は、別の地域になっているが、元は住吉(すみのえ)の異表記だったという。もとは摂津国住吉郡といい、難波津など大阪中心部とは独自の発展をした。住吉津は古代の国際港であり、遣隋使や遣唐使の出発地、シルクロードへの玄関でもあり、仏教もここから日本に入ったといいます。


←…転載した―…


住吉は、仏教の出入口で⇔古名の「墨之江や墨吉」の「墨」は、入れ墨の「墨」と同じでありました。


まったく関係ないと思われますが、


そこにも→どこでもドア←がありました。