眠れぬ夜 | お試しブログ

眠れぬ夜

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大君は神にしませば


─━─柿本人麻呂─━─


現人神(あらひとがみ)→生きながら神であるという「官僚政治」は律令体制から、はじまりました。「神にしませば」という表現は、神権的な天皇への讃歌である一方⇔天皇は「神様」であるから政治には『タッチ』しないで下さい。という意味でした。実はその官僚国家体制 (隠れ社会主義体制) は古代から現代まで続いています。

聖徳太子は、両立しない「律令制と仏教」を同時に持ち込みました。それは、完成する事がない律令制(天皇制)でした。律令制 (科挙・儒教の教え) が完成してするほど、仏教本来の「平等思想」との矛盾が生まれてきます。当時のそれは『儒教 と仏教』の併存でありました。「律令制」が整備されればされるほど「神」の権限が制約を受ける⇔律令制の整備と大仏建立のため→「行基」の下に集まる優婆塞・優婆夷という乞食坊主の集団は藤原氏 (高級官僚) から弾圧されていました。朝廷側から見るとこれを放置すると「律令制度」の崩壊を意味しておりました。ところが、聖武天皇は「行基」の集団=「おに」と呼ばれる人々を利用しました。律令制度を「つくる」ため⇔律令制度を「こわす」かもしれない「おに」を利用して東大寺・大仏建立を行いました→

江戸末期 (幕末) に「神を仏に売り渡した」として儒教から枝分かれした一部の朱子学右派、そして国学者を中心に聖徳太子「不信仰」→神仏分離 (廃仏毀釈) が生まれました。

古代より、権力者は「仏教」を信じていたというより⇔「政治」に利用する人々が増えていました⇔そして現代は、「神道」を信じているというより神道「政治」連盟といふ人々が増えてきました。

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明治~戦後の新しい時代、『天皇制』という文字と言葉を共産党 (左翼) と呼ばれる人々が作りました。そしていま、右翼と呼ばれる人々が天皇制 (律令制) を支えて生活をしています。

現在、右翼 (うよく) と左翼 (さよく) という考えに心酔する人々がたくさんいます。実は、右翼と左翼は「紙一重」です。きっと空も飛べると信じても、 彼らには翼 (つばさ) などありません。それは、幻想的な『まぼろし』です。

しもじもは潰し合う△上は通づる→鏡 (かがみ) に映る自分は全てを反対している。ところが、鏡を壊したら自分も消えた‥地球の右を回ると→左に通づる→その幻想的な『まぼろし』に→ 気づいた時→終わり始まる→


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海外メディアが右翼団体 (実は左翼思想) について調べた所、本当に彼らが主張する通りの制度 (天皇制 / 律令制) が完成したら、彼らは最下層の身分になる‥という放送をしていました。

ある方ブログには、戦後、日本列島と朝鮮半島ともに不満を持つ人々の間接統治が行われている‥載っていました。現政権 (安倍政権) はその政権 (ムーニスト政権) のように思います。その役割を担っているのが、「UC 」= 文国の民 (ムーニスト)  と呼ばれる勢力だといいます。彼らは、日本列島に対しても⇔朝鮮半島に対しても「不満」を持つ人々という説があります。

本当に彼らが主張する制度が完成した時→「結婚生活」が完成 (goal) だと『離婚生活』が始まる→ それは、幻想的な『まぼろし』でした。


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net上で、世界遺産・吉水社の宮司ブログが話題になっている事をつい最近に知りました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11942280389.html

自分も吉水社の宮司ブログと吉水社について調べて見ました。

江戸時代まで吉水院は「お寺」でありましたが、明治の神仏分離令 (廃仏毀釈) により吉水社 (神社) になった。 吉水社の祭神は、南朝の後醍醐天皇で、南朝の忠臣・楠木正成、後醍醐天皇を助けた僧侶・吉水院宗信法印を合祀する奈良県の吉野にある‥と、載っていました。

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鎌倉時代 (武家政権) が終ると、少しの間、 建武の親政 (公家政権) の時代がありました。

建武の親政」は、 後醍醐天皇が1333年6月、鎌倉幕府を討滅して天皇親政による王政復古的な政権を樹立しました。これまでの鎌倉時代 (武家政権)~150年ぶりに天皇を中心とした『公家政権』が始まりました。わずか、2年余りで足利尊氏 (源氏) が離反、 短期間で内部から崩壊、武士の不満、 「二条河原の落書」など‥民衆の不満も高まっていました。

その後、色いろあって足利尊氏が京都に開いた室町幕府が「北朝」⇔後醍醐天皇が奈良に開いた吉野朝を『南朝』という2つ朝廷の時代・南北朝時代→室町時代に通じます。

不仲になった足利尊氏と後醍醐天皇、形勢が不利になった後醍醐天皇を吉野の地で助けたのが、 僧侶・吉水院宗信法印であったので「吉水院」というお寺→『吉水社』という神社になったといいます。

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吉水社の宮司ブログ
http://m.blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/

宮司ブログでは、室町幕府の足利尊氏 (たかうじ) の名前を足利高氏 (たかうじ) と記し、「けんむの会」など‥見てみると、「南朝崇拝」である事、天皇を中心とした政治の復活を目指している事、 が見えてきます。

秘密 (ひみつ) お話として、室町時代~江戸時代まで藤原北家「北朝」⇔明治時代から藤原式家『南朝』に交替しています。

南北朝時代は、日本史の『ブラックホール』と呼ばれています。表面上は短い時代⇔事実上は長い時代→今でも続いています→

その「どちらが正しい」というのではなく⇔そういう『見えない空気』が今でも続いている事を知ると?‥これまでとは違う周波数を感じるように思います。


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吉水社の宮司ブログ
http://m.blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/

そのほか、宮司ブログでは、安倍総理を応援し、高市議員、稲田議員、在特会など‥いま話題の「ヘイトスピーチ」を支持している事が気になりました。

自分の考えでは、現政権 (安倍政権) は、『南朝』ではなく⇔「北朝」の派閥であるように思っています。

安倍総理と今の吉水社の宮司ブログの生まれ島は同じで、「平家の里」であると同時に『南朝 (源氏) の里』でもあります。 *源氏は「北朝」と『南朝』に分別しました。

net上では、安倍総理は「平家」⇔小沢一郎は奥州の『藤原氏』という構図に当てはめる人もいますが、桓武平氏に対して⇔清和源氏→安倍総理は自民党清和に所属しているので、「平家」ではなく⇔『源氏』の派閥になります。

桓武平氏の桓武天皇の聖母は「百済」の人で、今上天皇が韓国を訪れた際、「縁 (ゆかり) を感づる」といい韓国マスコミは大きく⇔日本マスコミは小さく取り上げた事がありました。

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日本列島では、源氏』は白旗⇔「平家」は赤旗を使用していました。

朝鮮半島では、『新羅』は白旗⇔「百済」は赤旗を使用していました。

よつて、桓武平氏 (平家百済) は、赤旗の派閥⇔安倍政権は白旗の派閥になります。

奈良の東大寺・大仏建立時、
設計した人々は百済系・漢人 (あやひと) で⇔大仏は、終わり始まる→華厳の教え→華厳教は新羅仏教でありました。

大仏建立時、
聖武天皇は、短期間で複数の都に移す遷都 (せんと) を繰り返していました。それを「聖武の彷徨」といいます。

吉備国群史など‥古い文献には、「山城は事実上、秦人 (はたびと) の国⇔大和は事実上、漢人 (あやひと) の国」と記されていました。*新羅系秦人は山城 (北側) 百済系漢人は大和 (南側) という構図です。

大仏 (新羅仏教) が完成すると?‥
南が北になっている?‥と、「聖武の彷徨」に繋がるようにも思いました。そして、奈良の平城京が北朝 (新羅仏教) ⇔京都の平安京が南朝?‥に?‥なったのではないか?‥

そして再び室町時代、
京都の室町幕府が「北朝」⇔奈良の吉野朝が『南朝』に?‥

室町時代~江戸時代まで「北朝」明治維新 (南朝復古) ~今でも『南朝』続いています→


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ある方のブログには、安倍政権は 天皇制 (律令制) を強化しようとしている載っていました。また違う人のブログには、安倍政権は 天皇制 (律令制) を破壊しようとしている載っていました。

この強化破壊相反する『2つ説』を見て、なぜか?‥『2つ説』とも納得してしまいました。

百済仏教は『仏教色』⇔新羅仏教は「景教色」をしていた⇔「そう学会」は『仏教色』⇔『とう教会』は「景教色」をしている。

「そう学会」は『南朝』⇔『とう教会』は「北朝」をしている。

今は『南朝』の時代ですが、安倍政権が「北朝」の派閥だと考えて見ると?‥

あれ?‥と、思う事がありました。

「結婚生活」が完成 だと『離婚生活』が始まる。

*あくまでも、北と南、どちらが正しいというのではなく⇔それは、ずっとづっと→「ゆめ」のままで→http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11324674320.html?frm=theme