「封印 と 開封」 を繰り返す『神様 と 魔王』 | お試しブログ

「封印 と 開封」 を繰り返す『神様 と 魔王』

いま、
東京都知事が穢 (けが / 汚) れ、薬 (クスリ) を必要としている。

それに対して ⇔ 元・石原都の息子が贅沢 (ぜいたく) を批判しているというが、元・石原都はもっと贅沢三昧していたとも云われています。

あるいは、本当は 官僚機構 (お役人) と政治家の対立 / 改革だけど、官僚機構に支配されたマスコミによる改革潰し ← 潰し だと いう人もいます。

そうすると、マスコミも穢 (けが) れ → 官僚機構 (お役人) も汚 (けが) れ → 都知事 (政治家) も穢 (けが) れ → 東京も汚 (けが) れ、その穢 (けが / 汚) れた地でオリンピックをする事になります。


これまで、

住まいが 穢土 (エド) した時代に浄土 (じょうど) の考えが流行し 「政権交代」 をした時代が何度もありました。



平安時代の終り ~ 鎌倉時代の始め に 「末法思想 (終末思想) 」 が流行し、不安を感じた人々は『浄土思想』に重きを置きました。


すると、

ちょっとした 「政権交代」 が起き、平安時代は終り → 鎌倉時代が始ります →



https://ja.m.wikipedia.org/wiki/カリン塔


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平安時代の末期 ~ 鎌倉時代にかけて、
東に 「江戸 (エド) 」 という文献が見られるようになります。

「江戸 (エド) 」 の語源は、ハッキリと解っていませんが、通説では 「入江の戸 (玄関) 」 、異説 (少数説) では『穢土 (エド / 江戸) 』と云われ、後者の説は敬遠されています。


ー・→


 雷 雷 雷 

爆弾  なんだその文章は 雷むかっ
‥ と、お怒りになる方もいるかと思いますが 「江戸 (エド) 」 の語源について、少数説で敬遠されがちな『穢土 (エド) 』なのかも?‥ と、考えて見ました。



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神様の神殿?‥



(・・? 浄土思想は天界への?‥



(・・? 神様と魔王は紙一重?‥



『浄土思想』では 「この世」 は穢土 (エド) ⇔ 「あの世」 は浄土 (じょうど) という考えがあります。

『浄土思想』には、弥勒 (下生) 信仰と阿弥陀 (上生) 信仰があり、阿弥陀信仰を補佐する形で観音信仰があるようです。*弥勒信仰、阿弥陀信仰、観音信仰 3つは『浄土思想』が含まれ、弥勒 (下生) 信仰では兜率天浄土 (天国) 、阿弥陀 (上生) 信仰では極楽浄土 (天国) の浄土思想。



「この世 (穢土) 」 で修行し → 「あの世 (浄土) 」 へ‥ という考え方です。


また、弥勒 (下生) 信仰は 「救世主 (ウルトラマン) 待望論」 に通じました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12103895581.html ウルトラマン (救世主 / 弥勒様) は『3分 (一時的) 』だけ宇宙 (あの世) から地球 (この世) に下生します。*宇宙では弥勒如来 ⇔ 地球では弥勒菩薩。 


ー・→


阿弥陀 (上生) 信仰では、
太陽が生まれる東は穢土 (過去) ⇔ 西は浄土 (未来) と考え、東に薬師如来 ⇔ 西に阿弥陀如来が住んでおり、阿弥陀如来が極楽浄土 (天国) へ‥ という考え方があるようです。

薬師如来 (お医者さん) は 「この世 (穢土) 」 の人々に薬 (クスリ) を与え → 「あの世 (浄土) 」 へ‥ という考え方です。


そして、

「あの世 (極楽浄土) 」 へ行く前に阿弥陀如来が迎えに来ます。阿弥陀如来の南には観音菩薩が修行する捕堕落 (ふだらく) 山があり、過去に過 (あやま) ちを犯した人々がよく修行しに訪れました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12101381766.html
*熊野信仰の1つ 「捕堕落渡海 (観音信仰) 」 ≒ 浄土思想 が知られています。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12148611996.html


つまり、
浄土思想では太陽が生まれる 「東の戸 (玄関) 」 は『穢土 (エド) の戸 (玄関) 』という考え方があります。


ー・→


 雷 雷 雷 

爆弾 なんだその考えは 雷むかっ
‥ と、お怒りになる方もいるかと思いますが、あくまでも『浄土思想』の視点から見てみました。



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人名で初めて 「江戸氏」 を名乗ったのは、江戸重継 (エドしげつぐ) という人物で 「江戸氏」 の祖と云われています。https://kotobank.jp/word/江戸氏-36893

平安時代の末期 (浄土思想が流行した時代) 、桓武平氏の分家 → 秩父平氏の秩父重継という人が武蔵国豊嶋郡江戸郷 ~ 荏原郡桜田郷 (いま東京都千代田区辺り) にかけて小さな城を築き住まい、その主な地名から江戸氏 → 江戸重継 (もと秩父重継) と名乗る が始めとされています。

平安時代 ~ 鎌倉時代にかけて、
江戸重継 (もと秩父重継) が小さな居城・江戸城を築き、室町時代に太田道灌が大きな江戸城を築き → http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12106272836.html → さらに、江戸時代に徳川家康がもっと大きな江戸城を築きました。

そうすると、
「江戸」 の人名よりも地名が先にあった事が解るのですが、いまだ 浄土思想の『穢土 (エド / 江戸) 』に結びつける説得力に及びません。


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実は‥ 江戸重継 (もと秩父重継) が築いた江戸城は小さく、決して有名でもなく、それほど重要な城でもなかったと云われていますが、室町時代の太田道灌と江戸時代の徳川家康が 「その地 / 江戸」 に こだわって いる 事について、何か『浄土思想』に結びつくようにも見えて来ました。

もしかすると?‥
徳川家康は『穢土 (エド / 江戸) 』の考え (浄土思想) を持ち 「政権交代」 に通じたのでは? と考えて見ました。



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これまで、北方の東アジア (中国、朝鮮、日本) では『浄土思想』に重きを置いた後に 「政権交代」 が起きる現象が何度も見られました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12070555807.html

例えば、朝鮮半島では 「新羅 ~ 高麗」 に王統交替 (政権交代) した時、中国島では 「宋 ~ 元」 → 「元 ~ 明」 に王統交替 (政権交代) した時などです。 

明 (みん / 中国王朝) の国名は明 (マニ) 教が由来で、明教から派生した白蓮教は浄土思想 = 「阿弥陀信仰と弥勒信仰」 を合わせた宗教でした。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12014390041.html 白蓮教 (明教から派生) には 「今よりも昔、現在よりも未来」 という考え方があり、そうした今現在を否定する考え方は 「政権交代」 に通じました。

ところが、

明朝 (新たな中国政府) は 「元 ~ 明」 に王統交替 (政権交代) した後、国名の由来にもなった明教を弾圧 / 封印しました。それは 「今よりも昔、現在よりも未来」 という考え方が 「政権交代」 に通じるからです。*「開封」 した後 → 「封印」 した。



日本の江戸時代 ~ 明治時代に 「政権交代」 した時も、「開封」 した後 → 「封印」 という現象が見られました。*明治の明も明教が由来という人もいます。

浄土思想は、一時的に表面上に登場し、水面下で封印されつつも‥ という特徴が見られます。


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時代は戻り鎌倉時代、
円覚寺 (臨済宗の寺) ができたのと同じ1282年、時宗という『浄土思想』を強く持つ宗派を開いた一遍上人 (いっぺんしょうにん) がいました。

一遍は寺をもたづ、遊行僧として全国各地を旅し、行く先々で民衆に「念仏札」を配って、念仏を勧めました。やがて一遍や信者たちの唱える念仏は「踊り念仏」という形に高まってゆきました。

一遍の一行は、鎌倉の町に入ろうとしました。ところが、鎌倉幕府の北条氏は、時宗・一遍上人を「立ち入り禁止」しました。

一遍上人の下には、太鼓を叩いて念仏を唱えながら踊り歩く人々がいました。*念仏廻り / 念仏踊りをする人々。

「南無阿弥陀仏」 と念仏を唱え歩く『浄土思想』を持つ宗派には、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗 (一向宗)、一遍の時宗の3つがあり、中でも一遍の一行は究極の 念仏踊り (浄土思想) に通じていました。

浄土系の宗派には、念仏を唱えれば 皆平等に救われるという『平等思想』にも通じ、権力側 (鎌倉幕府の北条氏) から見ると、特に時宗・一遍上人を「立ち入り禁止」しました。*一遍の一行を鎌倉に進入させると 「政権交代」 が起きる可能性がありました。



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時代は進み戦国時代、
松平元康(後の徳川家康)は、三河国や遠江国を支配していた今川氏の子分になっていました。

ある日、
尾張国の桶狭間 (おけはざま) で、主君の今川義元が織田信長に亡ぼされました。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/桶狭間の戦い

松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国の大樹寺へと逃げ隠れた。前途を悲観した元康は松平家の墓前で自害を試みるが、その時 13代住職の登誉が「厭離穢土 (おんりえど) 欣求浄土 (ごんぐじょうど) 」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われる。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/厭離穢土

三河国の大樹寺は浄土宗の寺でした。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大樹寺

「厭離穢土 (おんりえど) 欣求浄土 (ごんぐじょうど) 」は戦国時代、徳川家康の馬印に用いられたことで知られ、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢 (けが / 汚) れきっている。その穢土 (エド) を厭い離れ、永遠に平和な浄土 (じょうど) を願い求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとの意味であったようです。当時の徳川家康は浄土思想を持っていた。


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江戸幕府を開いた徳川家康は、鎌倉幕府を開いた源頼朝を『尊敬 / お手本』としていたことが知られています。

戦国時代に天下を取った徳川家康が、天下取り以上に苦労したのが『征夷大将軍』という称号で、その称号を得るため 「源氏 (血筋 / 家柄) 」 の系図を作成し1603年に江戸時代が正式に始まりました。

実は、その 「源氏 (血筋 / 家柄) 」 の系図を作成した時、徳川家康の祖は『徳阿弥』という架空の人物でした。*徳阿弥の阿弥は浄土思想に通づ文字

上記の文、鎌倉幕府の北条氏が「立ち入り禁止」した後、 時宗の一遍上人は鎌倉のとなり藤沢を拠点としていました。

徳川家康の祖・徳阿弥は、時宗の一遍上人に縁 (ゆかり) ある清浄光寺で出家して『徳阿弥』という名前になったと云われています。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/松平親氏  

関連情報
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/一遍

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/清浄光寺

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/無量光寺_(相模原市)


ー(・・? ー・ー


江戸幕府・徳川家の政治的なブレーンは、前半は 金地院 (こんちいん / 以心) 崇伝という臨済宗の僧侶 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/以心崇伝 ⇔ 後半は 南光坊天海 という天台宗の僧侶でした。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/天海
ともに、浄土系の宗派ではなく。


やはり?‥

浄土系の宗派 (浄土思想) は、一時的に表面上に登場し、水面下で『封印』されつつも‥ という特徴が見られます。



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『封印』と『開封』を繰り返している



神様が魔王を亡ぼすと神様も消え ⇔ 魔王が神様を滅ぼすと魔王も消えるので?‥ かもしれません。

神様 と 魔王は 紙一重?‥


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 雷 雷 雷 

爆弾 なんだその考えは 雷むかっ
‥ と、お怒りになる方もいるかと思いますが、あくまでも『浄土思想』の視点から見てみました。