【プロフィールストーリー④】30代は暗黒期〈後編〉 | 自分史上最高の生き方をデザインする 思考整理のプロ 石田ひろこ

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コーチングプレイス認定コーチ

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石田ひろこです

  

 

シリーズで書いている

私のプロフィールストーリー

前回までの記事はこちら↓

 

 

 

 

 

 

突然の義父の死

 

もうすぐ私の育休が終わるという早春

娘の初節句を迎える前に

突然、義父が亡くなります

 

 

あまりのショックからか

夫は精神的に支障をきたし

仕事へいけない状態に

そして、今回またしても、私は育休中

身動きが取れない状態

 

 

この時、主人は辛かったと思いますが

サポートする私にとっても

どうしてあげたら良いのかわからない

苦しい日々でした

 

 

そんな中

主人は短期間で

仕事に復帰できるまでに回復してくれ

よく立ち直り頑張ってくれたな、と

感謝しています

 

 

 

最大の理解者だった母が倒れる

 

そして、同じ年の201012

私にとって

とても辛い出来事が起きます

 

 

実母が脳出血で

突然、倒れたのです

 

 

仕事が休みだった私は

自宅でお昼ご飯を食べていました

すると携帯に母からの着信

「ああ、お母さんだ」と

いつものように出てみると

聞こえてきたのは知らない男性の声

救急隊員の方でした

 

 

「娘さんですか?

お母さんが倒れて救急車で今搬送中です

血圧が高く、意識がない状態です

今から◯◯病院に向かいますので

来てください」

 

 

突然、そう言われました

「どうしよう…どうしよう…」

パニックで手が震え、何もできません

 

 

まずは父に電話

その後、主人に電話

とてもじゃないけど私は運転できないと伝え

主人に帰ってきてもらい

病院へ向かうことにしました

 

 

子供たちも連れて

祈る気持ちで病院に向かいましたが

医師からは

「お母さんの意識が戻ることは難しいでしょう」

そう言われました

 

 

母の日常は

その日から一変してしまいました

 

 

この前会ったのはいつだっただろう

そうだ、娘の保育園の発表会だったな

泣きながら歌う娘を一緒に見て

私たちも涙を出しながら笑って見てたな

 

 

そのあと二人で

カレーとナンを

お腹いっぱいになるまで

食べたよね

 

 

先週末に電話で

クリスマスのメニューを

何にしようか相談された時

私、「なんでもいいよ〜」と

ちゃんと答えてなかったな

 

 

もっと、頻繁に会っていたら

変化に気付いたり

倒れる予兆を感じることが

できたのかもしれない

 

 

後悔、後に立たず

いくら悔やんでも

仕方がないとわかっていても

悔やみきれません

 

 

朝、目が覚めて

夢だったらいいのに、とか

お母さんが元気になっていて

「よかったね!」と

喜び合っている夢をみたり

 

 

仕事をしていても、涙が止まらなく

救急車の音を聞くたびに

胸が締め付けられました

 

 

しかし

悲しんでばかりはいられない現実が

次々と突きつけられ

私たちは

母のこれからを考えていく必要がありました

 

 

できる限りのリハビリをして

可能な限り回復してもらいたい

家族であれば

そう思うのは当然

 

 

ですので

状態の悪い母でも受け入れてくれる

リハビリ病院を必死で探し交渉し

なんとか転院することができました

 

 

それからの私は

母の側でリハビリを見守りたい

そうすれば

母の刺激にもなり

回復が少しでも早くなるかも、という

半ば願掛けの気持ちもあり

仕事がお休みの日

時には1日2度、病院へ通い

リハビリをする母のそばで

声をかけたりしていました

 

 

無理がたたり、私もダウン

 

 

そんな日々を送っていると

頑張りたい気持ちとは裏腹に

私の体に支障が出てしまいました

 

 

ある日の夜

クラっとめまいが起き

みるみるうちに酷くなりました

 

 

立つことはおろか

座ることもできなくなり

吐き気がとまらず

トイレにこもり

数時間倒れていました

 

 

仕事から帰ってきた主人に

なんとか状態を伝え

救急車で病院へ

 

 

幸い、脳関係ではなく

三半規管、耳が原因ではないかとの診断

めまいの原因は

はっきりしていないものが多く

おそらく

疲れ、ストレス、自律神経

そのようなものも関わって来るそう

 

 

確かに

そのときの私の生活は

母の病院

仕事

家のこと

子育て、その他諸々

フルスロットル、フル活動の毎日でした

 

 

私たち夫婦は土日が仕事でしたので

3人の子供達はそれぞれ

キッズクラブ・保育園

日曜日は双方の実家に預けながら

綱渡りのような状態

保育園が2ヶ所に分かれていた時もありました

 

 

一人の時間が唯一できる

平日のお休みを

母の病院に通うことに

めいっぱい使っていたので

体を休める時間は

無いに等しかったことに気づきます

 

 

数日、入院してから退院した私は

薬を服用しながら

すぐに仕事にも戻りました

 

 

ですが常に

「また、いつめまいが来るかわからない」

その不安を持ったまま過ごす日々

 

 

一時は、安定剤をもらい

服用していた時も…

一番弱い薬だったはずなのに

フワフワ雲の上を歩いている気分になり

効き目に驚きました

 

 

私の場合ですが

めまいを起こしたあとは

すぐによくなるという訳ではなかったので

規則正しく

なるべく休息をとって

と意識しながら

生活を立て直すようにしていくことで

徐々に気持ちも体も回復していきました

 

 

 

さらに義母までもが他界

 

そして、もう一人

私の大切な存在だった義母にも異変が…

 

 

数年前に患ったガンが再発し

闘病の末、亡くなってしまいます

 

 

義母は3人の孫を

とても可愛がってくれ

全ての事を否定することなく

大きな心で受け入れてくれていました

 

 

土日が勤務の私たちに変わり

子供達の世話をしてくれる事もしばしば

その時は

夫の実家にみんなで泊まりに行き

私はそこから出勤

 

 

そんな嫁に対して小言も言わず

(きっと思うことはあったはず)

朝ごはんを作ってくれ

時にはお弁当まで持たせてくれた義母

それなのに私のことを

「働きながら良く頑張っているよ」と

労ってくれていました

 

 

実母が倒れ

会話が出来なくなってしまい

寂しくなってしまった…と

私が義母に電話で話した時

「私で良かったら話を聞くよ」

そう言ってくれた義母

とても嬉しかった

 

 

でも

その義母もいなくなってしまった…

 

 

今、こうやって私たち家族がいられるのも

双方の両親の助けがあったからだと

これを書き出して改めて感じます

そして

何も恩返しできなかったことが

悔やまれるばかり

 

 

このように私の30代は

3人の子供の出産・子育て・職場復帰という

大変ながらも幸せな人生のイベントがある中に

大事な家族を失う、などの辛い経験が

大きな波のように

何度も押し寄せるような時代でした

 

 

そんな経験をすると

否が応でも

価値観やこれから先の人生について

考えるようになります

 

 

父と母は年齢差があるので

漠然と

きっと父が先に逝くだろう、とか

娘が大きくなったら

母と娘と3世代で

女子旅行とか行きたいな、とか

 

 

必ず「いつか」が来ると

信じて疑っていなかった

 

でもそんなことは

決してないんだということ

 

 

じゃあ

私はこれから

どんな生き方をしていこうかと

考え始めるようになりました

 

 

【プロフィールストーリー⑤】へ続く