大切な存在が

自分のいる世界からいなくなる

 

心にぽっかりと、空いた穴

 

朝がきて夜がきて、確実に時間は過ぎているのに、実感がない

自分だけが止まっている感じがする

 

 

約一週間前、

約14年間、実家で家族と一緒に過ごしていた黒柴のかげまるがこの世から去りました

14歳の誕生日3日前でした

 

 

約一週間前の月曜日の夕方、

痙攣をおこして倒れて動かなくなったかげまるを、両親が病院に抱っこしてつれていき、

”脱水症状でしょう”と診断をうけ、点滴をうけてから家に帰ってきたものの、

倒れて動かず

 

その連絡をうけて、着の身着のままで車でかけつけました

 

そこからの2日間、寝ずにつきそって看病し、

病院につれていったりしましたが、

水曜日の朝に、家族全員がたまたま揃ったタイミングで息をひきとりました。

 

吠える事はほとんどなく、

人間のような犬で、

優しくて、控えめで、具合悪いときはそっと近くにきて見守ってくれるような犬でした

 

 

胸が張り裂けそうな時間を過ごし、

土曜日に火葬し、骨を家に持ち帰り(庭に埋める為)、

 

私以上に大きなダメージをうけている両親のケアと、

家の片付けで実家に泊まっており

 

ようやく、一昨日、1週間ぶりに自分の家に帰ってきました

 

 

この先の人生で、こんなに哀しいことは起こらないだろうと思うくらいに哀しく、

昨日までは、頭と心が分離している状態でした

 

 

今日は、仕事完全復帰するつもりが、

午前中の1時間のオンラインミーティング終わった後に椅子に座っていられず

ソファに倒れこんで動けず

夕方ようやく動けるようになり、ブログを書きはじめました

 

 

アレルギー体質で数年前から色々な検査や薬を飲んだりして、

途中からはステロイドに頼ることになってしまい、

 

この半年は目がみえず、耳も聞こえず、家に帰るみちも自分ではわからなくなり

この1ヵ月は、トイレ関係にも支障がでて親が夜も2時間ごとに起きて、庭でおしっこさせたり、介護状態でしたが

 

最後は我々家族の負担がかからないように、2日間という短期間で旅立っていったのかなと思っています

 

愛憎ある人間とちがい、

犬は純粋に愛しかないので、その存在の大きさが本当に大きく、

与えてもらうものがはかりしれなく大きいのだと実感しています

 

 

哀しみと、感謝と

そして愛と

 

 

怒涛のような一週間の中で起きた変化(物理的に、内面的に)

 

 

全ての出来事も感情もひっくるめて

 

まるで奇跡のようなことがあり

 

全てのことは、宇宙の仕組みのなかで、完璧に起こっているのだということも

同時に感じています

 

 

 

かげまるの身体が空へと帰っていった(火葬した)のは、亡くなった3日後でしたが、

その日は、かげまるの14歳の誕生日でした

 

骨と一緒に、車に乗り、

かげまるがよくお散歩をしていた場所へ、行きました

 

残暑厳しい真夏日で

蝉の鳴き声が響き渡り、空からは強烈な陽射しと、むわっとする熱気の中、

かげまると一緒に

 

かげまるが14年前に産まれたときも、きっとこんな暑い日だったのかもしれません

 

お散歩コースに咲いていた、一輪のひまわり

 

 

かげまる、ありがとう

言葉ではいいあらわせないくらい、

ありがとう

 

今までもこれからも

 

ずっとありがとう