9月になって一気に涼しくなりましたねクローバー

 

夜、ヨガで外に出ると冷たい雨が降っており、薄手のコートが欲しくなるくらい。

 

黒柴の景丸(かげまる)が旅立って、

あっという間に1週間以上が経ちました。

 

状態も、日々刻々と変化し続けています

 

 

耐えがたいほどの強烈な胸の痛みから、

動けないくらいの虚脱感へ

そして、昨日位からは、

 

 

私に及ぼしている大きなインパクト

一体これはなんなのだろう

 

 

と考えています

 

 

実家を出ているので、

かげまるとずっと毎日過ごしていたわけではない

(かげまる会いたさに、自分の部屋がまだ残っているのもあり頻繁に泊まってはいたけれど)

 

なのに多大な影響を、私の内面に及ぼしている

 

 

過去の祖母や親しい友人の死で受けたインパクトとも

全く違う

 

 

 

私が、引きこもりだった妹のためにと

友達にお願いして、柴犬のブリーダーだった友達のお父さんからもらってきたからなのか?

(よく父親が、かげまるの産みの親は私で、育ての親は妹だ、と言っていたにひひ

 

 

ともかく

 

かげまるの存在がものすごく大きくて

 

 

実家に電話するときの第一声は、

”こんばんは~。元気? かげまる(の調子)はどう?” 

 

実家に帰ったときは、

道路から、家の門(アプローチ)が見えると、”もうすぐかげまるに会える”という喜びで、胸が高まり、早足になる

 

かげまるが家にきてからの14年間、亡くなる最後まで、それが変わることはなかった

 

 

半年くらい前からかげまるに認知症のような症状がでて、

玄関あけても走って迎えにこなくなっても、

玄関の扉あけるときはいつもかげまるのことで胸がいっぱいで

 

 

家の中にいるときは

かげまるの姿が目に入るたびに、

愛しさで、胸がいっぱいになり

自然と目を細めてしまう

 

(ふと横をみると、家族がみな同じような顔をしてかげまるをみている・・爆  笑

 

 

散歩中は、歩いている姿をみるだけで、可愛くて、愛しくてたまらない

 

 

私だけでなく、妹も、母も父もみな同じ感じでした

 

 

小学生の頃から飼っていた、チロもとても可愛かったけれど、

(チロが亡くなって20年以上経っても、いまだにたびたび思い出す)

 

 

チロは、”犬” らしかったのが、

かげまるは、”人間” のような感じなのかもしれません

表情、気持ちや意思表示の表し方とか

 

 

動物病院でも、

”かげまるちゃんの反応は、人間みたいだねぇ~音譜

とよく言われてました

 

 

亡くなってみてあらためて、

その存在の大きさに驚くばかり

 

 

不思議な存在だな・・と感じています

 

 

 

 

あとは今回、看取りをしたことも、理由かもしれません。

この話はまた別に書こうと思います

 

 

 

 

形はなくなっても、在り続ける

魂としては永遠にありつづける

 

いまもここにある

 

心のなかで会うことも、触れることもできる

 

頭でわかっていても、

 

実際に手で触れられないさびしさが、ある

 

 

五感をつかって、感じる事

 

これは、肉体をもってこの世に存在していないとできない

 

この世に、物理的に存在しているからできること

 

 

かげまるがいなくなってから、

さびしさと同時に

 

”愛” が自分のなかに、無限に広がっていく感覚もあり

 

 

その”愛”は、

 

純粋な、”愛”

 

慈しみの、愛

 

 

かげまるが

この”愛”を教えてくれました虹

 

 

日々

 

愛してる

 

という感覚が、

静かに自分の内側から広がっていく

 

 

かげまるに対してだけでなく

 

すべてのもの、すべてのことがら

目に見えるもの、見えないもの

すべてひっくるめての

 

 

 

今日は、雨が降って静かな一日なので、

ろうそくをつけて、仕事をしていました星

昨日までは、先週一週間に尋常ではないエネルギーを使ったため、

ほぼ仕事ができない状態で

 

ようやく今日から、平常運転に戻りつつありますクローバー

 

 

大切なものを失った哀しみやさびしさは、

同じ経験を共有した人がいても、

抱える哀しみやさびしさは、同じではなく(比較できるものでもなく)

 

誰かが癒してくれるものでもなく

(話を聞いてもらったりすることで、サポートにはなっても)

究極は自分で自分を癒していくしかない

 

 

各々が自分自身に向き合って

乗り越えていかなければならない

 

 

それは、孤独の旅 

 

 

今回、それを助けてくれたのが

星野道夫さんの、『旅をする木』

 

 

数年前に購入して、何度かよんで本棚に入っていたのだけど、

なぜか景丸(かげまる)が危篤になり実家に急きょ帰る直前、

棚にある本が目に留まって、ベッドの脇に置いておいた

 

その後、家をあけていたので本を読むことはなく、

実家での怒涛の一週間を終えて、今週頭に家に戻ってきてから、

ふと目に入り開いてみた

 

 

 

アラスカの、厳しくも雄大な大自然のなかで、

紡ぎだされる出来事

景色

 

匂い

 

それらが

深い優しさをもって

 

 

こころの”旅” と重なり

 

気づいたら、癒されていました虹