内側に意識を向けて生きるようになってから
ふとメッセージが降りてくるようになった。



それは「知りたかったことって、こうゆうことかも」という問いへのアンサーとか

「あそこに行ってみよう」という新たな提案という形。



最近は、「明治神宮に行かなきゃ」と思って。

もはや、どの瞬間に思ったのか思い出せないんだけど、ちゃんとキャッチして予定に入れた。



明治神宮はご近所。

とは言っても、行事がないと行かない。
最後に行ったのは、息子のお宮参りの時かなぁ。






今回も旦那さんと息子も一緒に行く予定だったのだけど、そこのちょっとしたモヤモヤを旦那さんがキャッチして、一人で行かせてくれました🤣



理由なんて、わからないけど行く。



そんなこと今までしてきてなかったけど
私が一番欲しかったものがそこにあった。






明治神宮の前に降りたった瞬間に
「うわ。やばい。」と全身で感じるほどエネルギーの違いを感じた私。

眩いほどの光が差し込んで、そこだけ明らかにエネルギーが違う。



何回も来たことがあったのに、今まではこんなに感じられなかった。

内側に意識を向けて生きると、こんなに見えるもの、気づけるもの、受け取れるものが違うなんて…



本殿まで歩いていくうちに、なぜここに来たのかわかった。



「これが私だ」それを見せられている。



神のエネルギー
神の在り方
これが本来の私なのだ。



自分の選択を悔やんだり
起こる出来事を怖れたり
頭では損得を計算したり

私たちは現実に飲まれて、自動的に反応し続けているけど



私が神であるのに、なぜそんな変なことをしているの?



現実に飲み込まれた人間意識であれこれ考えても
本当に欲しかった感覚や答えになんて辿り着けはしない。



パワーを持つのは
現実ではなく、私だ。



明治神宮で降りてきた言葉

体験するすべてが私という存在の背景であり

私はずっと安心の愛と光の場所から

それを見ている。


私たちは、欠乏、恐怖の世界も見られるし

溢れんばかりの豊かさと拡大の世界を見ることもできる。


「どれも素晴らしい経験」という映像を見ている。


何を見ていても私はずっと、同じ素晴らしい場所に君臨する。


望みがあるなら、私を信頼しなさい。

つまりそれは、私の人生というものを信頼しなさい。




本殿まで歩き、参拝して帰る頃には
一致感がハンパなくて、「本当の私のエネルギーってこうだった!」て腑に落ちる感じにまでなった。



歩き疲れたな…
この後、旦那さんと息子と待ち合わせしてるんだよな…と思った瞬間に



神宮内の私の目の前でタクシーが止まった。



これが普通なんだ。



流れに乗るとか
受け取りモードとか言うけれど
頭で考えてもわかるはずがない。

でも、体感すればすぐわかる。



そして私は、次の日も明治神宮に訪れた。



エネルギーチューニングが完了して
帰ろうとした瞬間に、神々しい結婚式の花嫁が歩いてくる。



祝われている。



私は神である。

意識の変化はすぐに現実に反映され、こうして見せてくれるんだ。