私は、嫌われるほうが楽。

 

あ、でも、好かれるか嫌われるかでの

比較じゃないです。

 

嫌われるか、嫌うかでね。

前者のほうが楽。

 

 

私はどちらかというと、

好きな人を嫌いになるほうが怖い。

 

嫌いになりたくない願望のほうがつよい。

 

例えば、全員から嫌われて1人になるより

全員嫌いになって1人になるほうがいやだ。

 

 

天才万博でも聞いた「愛は勝つ」。

 

いつ聞いてもやっぱり最高。

聞くたびに気になるところが違う。

 

ちょっと前までの私はこの歌詞で泣いとった。

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傷つけ傷ついて 愛する切なさに

すこしつかれても


もう一度夢見よう

愛されるよろこびを知っているのなら

=====



あくまで私はじゃけど

どうでもいい人の言葉では傷つかん。

スルー力まぁまぁあります。


私が傷つくのは、いつでも大切な人の言葉。

大切な人の言葉だから真剣に受け止めちゃう。



だから、好きな人が増えれば増えるほど

傷つける機会も、傷つく機会も増えちゃう。

 

 

好きな人は傷つけるもの

という話じゃなくてね。

 

好きな人が増えると触れる価値観も増えるけん

言葉が思い通りには通じんこともある。

 

 

好きな人は私を傷つけるもの

という話じゃなくてね。

 

好きになるくらい深く関わりあうけん

その過程で傷つくこともあるということ。

 

 

「傷つくということは、それが当たりだから」

と表現されることもあるけど

本当はもうちょっと深い。

 


別に当たってはないし、真実でもない。

ただ、自分自身がそう思ってるってだけ。

 

「自分もそう思ってる部分に当たった」

が本当の意味。

 

自分が勝手に思ってるだけで、

事実でも真実でもない。


でも、傷つけたのも傷ついたのも

嘘でもない。

 

 

私も、たくさん傷つけてきたし、

たくさん傷ついてきた。

 

傷ついたあと

それでも一緒にいたいか、いたくないか。

 

傷つけたあと

それでも一緒にいたいか、いたくないか。

 

 

そして、そんなときの本音は???

 

久しぶりに同期の記事が目についたんじゃけど

私がずっと思っとったことがわかりやすく言語化されとるけんシェア。

↓↓↓

その練習をしている限り前提は何も変わっていないという証拠

(できてないときももちろんある)


私にとって傷ついたときは

相手が大切な人なんだって気づくとき。

私が自分でそう思ってたんだって気づくとき。