靴下 vol.3 ~Present~ | まつすぐな道でさみしい (第一部 完)

靴下 vol.3 ~Present~

1992年 冬


なあ、前から気になっていたんだが…


お前は、なんで靴下を履かないんだ?






ずっと昔から、そうだ…

俺に履ける大きさの靴下なんて見た事がない。だから俺は靴下なんて1足も持ってない。
(-"-;)





やはり、そうだったか…





1953年 春


高校に入学した正平は、美術室の片隅で静かに絵を描いていた。グランドで声を張り上げ、練習に励む野球部員を横目に、ひたすら絵筆を走らせる。






小学生から始めた野球でピッチャーを努め、中学時代にはチームを引っ張り地区優勝を果す。高校に上がれば甲子園出場も夢ではないと、地元では誰もが活躍を疑わない存在に成長していた。


この少年、後に読売巨人軍にスカウトされ、高校を2年で中退してプロ入りを果たす程の才能の持ち主。


当然、本人も高校野球での活躍を夢見ていたに違いない。


たった1つの誤算が、彼の前に立ち塞がるまでは…




小学校入学当時の正平はそれほど大きな子供ではなく、むしろ小さい部類の子供だった。しかし、3年生頃から急激に成長を加速させたその身体は小学生の時点で175cmを越え、中学時代は大型右腕として活躍した。


しかし、成長の止まらないその身体は高校入学時には190cmを越え、大きくなり過ぎた身体に、その足に合うスパイクが無くなっていた。


新潟県の片田舎、八百屋の次男坊として生まれ、決して裕福とは言えない環境に育った正平に、特注で自分に合うスパイクを作るなどという選択肢は、最初から考えもしない事だった。




そして高校に入学した正平は、美術部に入部届けを出す事になる。




しつこいようだがこの少年、後に読売巨人軍にスカウトされる程の才能の持ち主。






シューズがないから入部出来ませんとは、シャクでシャクでとても言えたものではない。


選手達が、普通の足をしているだけで、張り切ってグランドやコートを飛び回っている。それを見るのは、私には拷問に等しかった。




絵筆を握る日々は、正平にとって砂を噛む思いだったに違いない…






話を戻そう…


1992年 冬


馬場の表情が僅かに緩み…


じゃ~コレ履いてみろよ!!


そう言いながら渡したのは、馬場が自分用に作らせた特注の靴下。





男は履いた瞬間、子供のような笑顔になり、


この靴下、凄くいいよ!!
(*´∇`*)


おそらく、馬場より2回りほど身体の大きい男の足には、多少きつかったのではないか?


しかし男は、馬場の靴下を何足も受け取り、


俺が自宅で使ってる、凄くいい椅子が有るんだよ。 こんどプレゼントするな!!





そう言い、その靴下を大事に抱え母国フランスに帰って行った。





元子、アイツの靴下作ってやってくれよ!!




次の来日は来年の2月だから、今から手配すれば間に合うと思うわ。




2月か…


寒い季節だからな、アイツ喜ぶだろうな?
( ̄。 ̄)y-~~






しかし、アイツの手元に靴下が届く事はなかった…


永遠に






1993年1月


アンドレの訃報が馬場の元に届くのは、彼の手元に特注の靴下が届いて数日が経ってからの事。






もし明日死んでも悔いはない…


生前、と言っても亡くなる10年以上前だが、アンドレは雑誌のインタビューに、こう答えている。


どんな人より美味しいものを沢山食べた。大好きなビールもワインも浴びるほど飲んだ。世界中いろんな所を旅した。本当に俺はついてたよ。ただ…


ただ1つ心残りは、家族と呼べるものを持てなかった事かな?





その巨体を生かし、プロレス界のトップに登り詰めた男達…


しかし、リングを降りたその世界は、男達には狭すぎた。


その巨大な身体故に異形の者と恐れられ…


ただ普通に生活する。


そんな事当たり前の事が許されない…




もし、プロレスが無かったら…


レスラーという職業が無かったら?


この男達は、どんな人生を送ったんだろう?




2014年8月10日


既存の球場に後付けで屋根を付けた、不思議な形状の西武ドーム。


嵐が過ぎ、屋根の間から差す木漏れ日のなか、大移動を繰り返す観客に、ふと思い出した。


ただ、それだけのお話。








ピンポ~ン


1993年2月


主を失った靴下の元にフランスから届けられた、大きな大きな革張りの椅子。


それは生前、馬場との再会に合わせ発注された物…


その椅子は自宅のリビングに置かれ、馬場は終生その椅子と共に過ごした。