こんばんわ

 

夜になるとやる気が出てくる猿田です。

 

深夜2時前後の静かな時間が好きです。

 

今日は、この方の奄美大島の伝統発酵飲料ミキのWsに参加してきました。

 

約3時間のワークショップの中で

 

いちばん楽しかったこと

 

それは

 

丁寧にお米をといでる瞬間でしたキラキラ

(右側が丁寧に研いだお米ね)

 

お米の気持ちになって

 

いきなりお水をいれてビックリしないか?

 

とか

 

洗うときぐるぐる回したら、目が回らないか?

 

とか

 

精米したお米は皮がむけたお米

 

ゴシゴシ洗ったら、お米が痛くないか?

 

お米の立場にたちながら

 

丁寧に丁寧にお米を研いでいるときの

 

呼吸の深さ

 

幸福感

 

とても心地よい時間でした。

 

『 祈りは日常にある 』

 

最近、6個のお仕事を同時並行で行っていて

 

自分の身体がおかしい・・・

 

どこか滞っている感覚がありました。

 

滞ってくると、どうでも良いことが気になりだしたり・・・

 

不必要なものが、必要に見えてきたり・・・

 

人は意識している、していないに関わらず

繊細なエネルギーを感知して物事を決めているのに

小手先のテクニックで人を動かそうとしたり・・・

 

そんなことが増えてきます。

 

そんなとき、ふと自分の日常に目を向けると

 

足りないのは 「 丁寧さ 」のような気がします。

 

物は物でもあり、自分でもある。

 

人は他人でもあり、自分でもある。

 

良くも悪くも、雑さも丁寧さも

 

意識はあらゆる場面でつながり

 

あらゆることに影響してきます。

  

先にやる必要があるものを先延ばしにしていたり・・・

 

不必要なものを、必要だと思い込み

 

なかなか進まない自分にイライラしていたり・・・

 

自分に静かな時間を作れなかったり・・・

 

そんな数日間でした。 

 

という訳で

いま頂いているお仕事をすこし整理して

 

自分に戻る時間を大切にしていきます。

 

すみませんが、いま募集しているWsも

 

いま開催が決まっている分までは実施しますが

 

新規の開催はストップして

 

何が本当に必要なのか?

 

何が本当にやりたいのか?

 

何が意図に寄り添っているのか?

 

そんな感覚を大切にしていきたいと思います。

 

菌のことを勉強していると

 

色々な食事や発酵食品が気になるようになります。

 

でも、やっぱり最後は物質ではない。

 

「 何を食べるか 」

 

も大切だけど

 

「 どう作るか 」

 

「 どう食べるか 」

 

の方が大切で・・・

 

そして、世の中には色々と優れたものが沢山あるけれど

 

それらも

 

「 どんなものを使うか 」

 

よりも

 

「 どんな風に暮らすか 」

 

の方が大切で・・・

 

作業ではなく

 

所作の中に祈りはあるのか?

 

そんな基本に戻ってみたいと思います。

 

いきなりすべてを変えることは出来ないけれど

 

そこに想いはあるのか?

 

そこに祈りはあるのか?

 

それは本当に必要なのか?

 

物は物でもあり、自分でもある。

 

人は他人でもあり、自分でもある。

 

見えないものに丁寧さを持てていますか?
 

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

 

健康コンサルタント 猿田 友