昨日のノーベル賞発表のニュース、感激したよ。
うれしかったな。
京大の山中先生の受賞がかなわなかったので、今年はダメかなと思ってたから。
でも、これからの事を考えれば少し寒く感じた。
これからとは、宇宙開発も含め、日本の科学技術行政の行く先。
民主党のマニフェストでは、あまり科学技術への予算は考えてないみたい。
日本をどこに導こうとしているのか、良くわからない。理念はあるのかな?
子育て予算もいいけど、僕はもう少しこちらに予算をまわせないかなと思う。
それと、お金がないんだから、科学技術行政のシステムをうまく作らないといけない。
方針をぽろぽろと変更しないように、上手に、無駄なくしないといけない。
また、日本にはポスドクが18000人ほどいて、1/3が35歳以上だって。
身分の安定していない、期限が来ればその地位が無くなる不安定なポスドク。
こんな話きいてたら、なんだかほんとに背筋が寒くなってくる。
予算もだけれど、政府は新しい科学行政のシステムを作らないといけない。と思う。
さて今日は、日本を代表するタレント脳学者の茂木健一郎先生の本を勉強します。
その本のタイトルはずばり
「意識とは何か・私を生成する脳」 茂木健一郎 筑摩書房 2003年
茂木先生は、意識問題、心身問題はクオリア問題であるとおっしゃってます。そこで最近の書籍ではないのですが、先生の考えをスタディしようと、題名にひかれ読み始めました。
新書ですから、ささっと読めます。書き方も柔らか。
「・そもそも物質である脳の活動に伴って、どのように意識が生まれるのか?
・なぜ、宇宙にある全ての物質の中で、神経細胞の活動だけに伴って意識がうまれるのか?あるいは、他の物質の活動に伴っても、意識はうまれるのか?だとすれば、どのような条件が満たされれた時に、意識は生まれるのか?
・そのような意識を持つ<私>という主体は、一体どのように成り立っているのか?」
といった、根本的な問題意識を持たれています。そして、
「本書では、以上のような視点から、私たちの意識のなかで、<あるもの>が<あるもの>であることの不思議について、徹底的に考えた。」
すると、上の問題群に対し何らかの解答を期待します。さてどうでしょうか。
“<あるもの>が<あるもの>であることの不思議さ”とは、“クオリアの不思議さ”に相当するようです。
そして<私>について
「「赤」、「表面のつや」、「丸い形」、「風船らしさ」といったクオリアを生み出す必要条件となる神経活動は、脳の後頭部の第一次視覚野を中心とする大脳皮質の視覚野に存在することが分かっている。」
そして「クオリアが生み出されるメカニズムは・・・<私>が生み出されるメカニズムと切り離すことができない」という理解の下
「クオリアを生み出す神経活動と、前頭葉を中心とする<私>の主観性を支える神経活動の間に、マッチングがとられなければならない。」と述べられています。
ここでは茂木先生は、特定のクオリアを生み出す必要条件の神経活動が視覚野にあり、<私>の主観性を支える神経活動が前頭葉にあって、それらを基にしたメカニズム間のマッチングが無ければならないといわれています。
これらの説(仮説?)の有効性について私は何も言えません。
脳の特定の活動がクオリアとか私を生み出すとの説です。
さらなるメカニズムの解明が期待されます。
書籍の内容を披露する事は、著者に対して申し訳がありませんので、今回は「意識」のメカニズムについての先生の考えだけを引用します。
・ クオリアのレパートリーを脳内にあらかじめたくさん用意されており、外界からの刺激であるクオリアが選ばる。
・ 複数のコンテクスト(表象的なもの)を一つの神経活動に反映させている、つまり“リンゴ”という神経活動はリンゴだけでなく“好き嫌い”、“香り”、“リンゴの花”、“畑”などの複数のコンテクストがその裏にあるという事。
・ 脳は時間経過で変化しているが、継続もしている。
・ 機能主義ではだめである。(機能主義を批判されている)機能主義とは脳の機能だけにポイントを置いて、クオリアなどを無視する学派
以上が先生の主張されているポイントです。
その他「脳科学をはなれて」、宇宙において<あるもの>が<あるもの>であることが、どのように成り立っているのかの理屈についても説かれています。つまり、宇宙における、物体の存在に関する論も説かれています。
もちろん、脳科学一般知識も説かれていますが。
でも、クオリアの説明としてはもう少し何か欲しいなと思いました。
最後に唐突ですが、先生は「量子力学」の波動関数の収縮を持ち出され、「物体を記述する波動関数で表される「何か」が常に「収縮」という運動を続けることではじめて安定して存在しえていると考えられている」ので
「朝目が覚めて、脳の神経活動がそれまでよりも盛んに活動すると、そこに突然クオリアに満ちた私たちの意識というものが生成されるという事実は、それほど、物質を含めたこの世界の実在のあり方から飛躍したことではない。私たちの意識、クオリアに満ちた主観的体験は、物質界において普遍的に見られる個物の背後の「生成」のプロセスの延長線上にとらえられるのである。」
と格調高く、量子力学の収縮という援護射撃をもらってクオリアの生成が物個の生成と同じであると主張され、この本を閉じられています。
やはり心身問題は「現時点ではどのように説明したらよいのかわからないくらい深いミステリーである」のですね。
私は、この本は、“意識がクオリア問題で、物理的に解決されるという主張がなされたものですが、解等はわからない”という結論を示したかった本であるとの印象を受けました。問題提起の本です。