蛍光灯が点かなくなって久しい。

1週間は経つ


点けようとした時、点かないので、

買うのわすれたなと思う


寝室だから

別につかなくてもすぐ困らないから


でも次の休みに買いに行こう。




今日は脳内信号の話。


私は残念ながら脳の信号を直接さわったことがないから良くわからないけれど、

パルス信号が離散的に観測できるんだろうな、って思う。

丁度オシロスコープで信号を見るように。

(私は、毎日のようにオシロで電気信号見ています)


ものの本によると脳内信号は、インパルス波形で

コンピュータ信号のように、立ち上がりタイミングを使っていないようです。


そうではなく、インパルスの数を蓄積しているようで

インパルスの数がたまると次へ信号を渡す(インパルス波形で)ようです。


以上は、時間的な説明ですが

空間的な説明となると、ヘッブ博士のセルアセンブリー仮説のように

神経細胞の集団、構造的な群(ひとかたまり)でモジュールを形成して

意味を表しているようです。

例えば、円形を象徴する、認識する、意味を表す、・・・

赤色を表す・・・

のように。


これらの構成で脳システムができあがっており、

外部からの並列入力信号を処理して行動を決定します。




システム工学において、単純なブラックボックスを考察するのに

システム関数を使います。

特に線形受動システムにおいて使われます。


このシステム関数は、入力信号と出力信号の関係を数学的に表現するのです。


例えば、お茶碗をお箸でたたくと

お茶碗の材料、構造等で決まる音が発生します。

このたたく入力と発生する音の出力関係がシステム関数になるのです。


すると、だれでも考えられるのは、

特定の入力パターンに対し反応良く出力を出せる特定の構造が存在するという事。

地震のゆれ周期と建物の固有ゆれ周期の関係です。


この考えは脳システムにも当然使えます。

例えば、円形パターンを見れば、円形パターンに対応した多数の並列・時間離散的なインパルス信号が脳システムに到着するでしょう。


するとこのパターンに反応する脳内モジュールがあれば、大きく反応するのです。

このパターンに反応する神経細胞集団が構成されているからです。

この反応が、よく言われる同期発火と私は考えています。

集団が入力信号に呼応して大きく反応・同期発火するのです。


この同期発火は神経細胞モジュールが同時に発火するのですから、

次につながっている別のモジュールにまとまった数のインパルスを同時に与えます。

すると次のモジュールも活動するようになり、このような活動の組み合わせで筋肉活動が起こります。

同期発火は次につながっているモジュールに信号を渡すという物理的意味と、最終的に筋肉活動を誘起させるという意味で生物的な意味に変わります。

生物は生きていくことが最大の目的ですから、意味も現われてくると考えます。


この様な神経細胞の活動で発生する意味をどのように解釈するか、

意識を追求するために必要な作業となります。

自然的な物理現象の中に意味を求めていくのです。

生命体を自然構成物としてとらえます。

コネクショニスト、神経科学者が行なっている研究です。




プロのコネクショニスト・神経科学者は時間も装置も環境も整っており、

そのかわりペーパーという出力を出さないといけないのですが、

うらやましい職業です。


でも、彼らの多くは、神経活動の機能抽出にしのぎを削っています。

例えば、恐怖と海馬での神経活動パターンの関係・相関を解析し、どのような恐怖が襲ってきたのか、どのような神経細胞グループ(クリークと呼ばれる神経モジュール)があるのか、それらの活動の協調がどのようであるのか、これら脳内信号をコンピュータとつないで新しいシステムを開発するとかの研究を行なっています。

生きたネズミの海馬から260もの信号をモニターできる装置を作って、データを集めているのです。

(わかり始めた記憶の暗号 J.Z.チェン 日経サイエンス 200710月)

いずれにせよ、今現在可能な解析・機能研究にパワーを集注させています。


で一方、私は好きな時間に、好きなように、暇を見つけ、思索を重ね、脳内情報の思弁的解析を趣味で行なっています。

プロに負けるのは分かっていますから、彼らと同じ土俵では勝負はしません。彼らの成果を最大限利用させてもらって、思弁的な領域をねらいます。

一番の興味は、脳内インパルス信号と意味の関連付けです。インパルス信号により筋肉活動が誘発される場合、どうしてそこに生物的・生命体的意味が発生するのか。

まず、(意識・クオリアをはずして)このことが、論理的に組み立てられるか。つまり、納得のいく形で生物的意味の発生を考える。

当然最終的には意識にまで到達します。


神経細胞及び神経細胞群は意味を理解できません。

ただ自然現象どおり活動をしています。その活動により、例えば逃避行動が可能になります。

その行動により利益を生命体が受け取ります。するとその行動は生命体に意味を与えると言えます。

怖いから逃げろと言うように。意味は生命体が感じると。

でもなんとなく漠然すぎると思いませんか。生命体の何が感じるのでしょうか。生命体と言う雰囲気が感じるのでしょうか。意味を感じる主体は現われてこないのでしょうか。主体が現われてこなくても、意味は意味世界・情報世界に次元転換して現われてくるのでしょうか。

難しい問題です。


もちろん、計算機内のビット表現の意味と同様だという考え方もあるかもしれません。

つまり情報単独に意味は現れない。意味は計算機の受益者が自分で作る。

計算機はオペレータのための活動。


他方、脳は生命体自身のための活動。おのずから、本質的に異なるシステムです。

計算機とは異なる情報システムが脳であり、やはり受益者・自身が意味を作り上げるのだと考えていいのではないかと。

しかし、さらなる思索が求められています。


これら問題を乗り越えて本当の意識・クオリアが解明されるのです。(と思います。)