雨が降ったり降らなかったり
からっと晴れてくれない
昨日は部屋で夏物をかたずけた。
ホントは古本市に行きたかったんやけれど
雨ぎみやからやめたよ。
三日の日にいこう
この日は明治天皇の御威徳で
雨が降らない日になってるから
だそうな。
今日は創発の話。生命・脳系、複雑系の説明に使われている。
創発は、ウィキペディアでは部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA
とあります。
また別の定義では、
「全体の特徴的な振る舞いは、その構成要素のもっとも完全な知識が与えられたとしても、理論上でさえ、そこから演繹されえない」
と言われます。(次に示す論文より)
例えば、
食塩NaClは塩素とナトリウムの化合物ですが、ナトリウム、塩素単独の充分な性質の知識をもってしても、それらから演繹的に食塩の性質を予測する事は出来ないとか、
生命体のようなシステムは下位のレベルの内的な構造や過程を参照することによってのみ説明可能となる保証がないとか。
このように、生物学における創発、情報工学における創発、組織論における創発
が議論されているようです。
それら創発の多くは、おもに「予測不可能性」が原因であって、
本質的に理論上でさえ、演繹されない性質なのかどうか、疑わしいのです。
“よく理解できない複雑な理屈があるのだが”という予測が困難であると言う理由で創発を説明の根拠の一つとして使っているのです。
このあたりの議論は、松本俊吉氏の論文にくわしく書かれています。
「予測不可能性」が原因であるとすれば、新しい知識が得られ予測可能となった時点で創発性はなくなると考えられます。
その意味で、生命現象は創発の概念からは遠ざかったと考えるのは、私だけでしょうか。
分子レベルの生命現象が解明されつつあり、生命現象は物理的に演繹可能な現象になってきています。
また、食塩の性質においては、現時点ではすべての性質は演繹不可能かも知れませんが、物性理論の進展において演繹は可能になると思われます。食塩が水の溶けるとか、透明な結晶構造であるとか、塩辛い味であるとかは、演繹可能になると思われるのです。
すると
創発に関係する「予測不可能性」などは、この物理世界にはないと考えられるのです。創発に関係する全てが物理で演繹可能であると言えるかもしれません。
上の論文で松本氏は「けれども、それにもかかわらずわれわれがこの・・概念を有意義と考えるのは、この概念がいわば「自然の汲み尽くし難さ」に対するわれわれの注意を絶えず喚起してくれると期待できるからである。」
と主張され創発性に少し歪んだ期待を込められています。
創発性はなくなったのかも知れないけれど、その概念は必要であると主張されているのです。
しかし当然、自然はすべてを我々の前に提示してくれません。物質の存在原理、宇宙の開闢原理等、不明なことが一杯です。
この不明な点に対し創発概念を持ち込めるでしょうか。また持ち込んで何か意味があるのでしょうか。
また、脳システムの活動によって起こってくる意識はどう考えればいいでしょうか。
脳の神経細胞と感覚細胞、筋肉細胞の関係は、物理的に解決出来ますので創発性はありません。
しかし、覚醒、クオリア以上の意識現象には演繹不可能な本質的なギャップがあるのかもしれません。
例えば、脳内における神経細胞の活動パターンが情報である事は多くの人が認めています。情報にはその情報の意味が発生しているようです。例えば外部からの加害的刺激には、“痛い”という概念の情報の意味が脳内に出来上がっていると思われます。
これらは脳内神経パターンを観察することによって推測されるのです。
以上には創発性は認められません。
しかしこれらの活動パターンから、情報の意味が一人歩きをするといわれる意識の発生。
情報の“私は痛い”という情報の意味が独立、一人歩きします。
それが意識になります。
この現象を、物理的因果性を使い説明することが出来るのかが不明なのです。情報は脳内に存在しているのは、多分間違いないでしょう。そしてそれら情報は意識、無意識、等の全ての情報になっているはずです。
それら情報の一部が、自己をともなって意識に現れる現象は創発現象でしょうか。
それとも我々がそれらの物理的因果性を知識として持っていないからでしょうか。知識を獲得すれば、物理的説明が可能になり物理に還元可能になるのか。
創発現象であれば物理に還元するのは困難かもしれません。
本質的に証明が出来無いのですから。
でも、もっとよく考えると、物質の存在原理、宇宙の開闢原理などと共に、意識現象は創発概念ではない新しい創成概念が必要になってくると思われます。
演繹不可能というより、異次元創成。
創成とは、異次元世界の成立となります。
また現時点では、創発はシステムにおける説明困難な時点におけるあいまいな、逃げの表現になっています。
複雑すぎて分からないから、説明を飛ばして創発性と言う言葉を使い、ある程度糊塗するのです。
創発性と言う言葉を使用している人にもよるのでしょうが、各人自由に使っているようです。