マルタ島について | 365 fashion+MALTA diary

365 fashion+MALTA diary

2015年8月から半年間留学に行きます。
場所はマルタ島。
留学準備から、マルタ島留学の日々を綴っていきます!

また継続して、ファッションブランド「zizi」や日々のファッションについても更新していきます。

マルタ島出発まで、一か月ちょいしかないので、
基本知識を。
ウィキペディアから
マルタ共和国:主にマルタ島、コミノ島、ゴゾ島の3島からなる国
首都:バレッタ

ヨーロッパなのに英語な理由
よく聞かれるので、、、

870年アラブ人の侵攻を受け、1127年ノルマン人が占拠するまでイスラム帝国の支配下にあった。 その後、1479年スペインの支配下に置かれ、1530年には、1522年ロドス島を追われた聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)の所領となった。1565年にマルタ騎士団は、オスマン帝国からの攻撃を受けるが(マルタ包囲戦)、およそ4ヶ月で撃退に成功した。現在の首都バレッタは、この時のマルタ騎士団の団長ジャン・ド・ヴァレットの名前に因んでいる。

エジプト遠征途上のナポレオン・ボナパルトによって占領されるが、その没落後はイギリス支配下にあり、地中海を経由してインドにいたるルート上に位置することから重要視されていた。特に第二次世界大戦中にはエジプトへの連合国側の輸送路の途上にあり、またイギリス海軍の拠点としてイタリアと北アフリカとを結ぶ枢軸国側の輸送路を脅かす存在となったために空襲に晒されたが(第二次マルタ包囲戦)、ついに陥落することはなかった。戦時下の国民の努力と忍耐を讃え、ジョージ6世は「マルタの国と国民全て」を対象に「ジョージ十字勲章」を授与した。戦後、反英抵抗運動、独立闘争では、後の第三代大統領となるアガサ・バーバラらが活躍。1964年英連邦王国マルタ国としてイギリスから独立し、さらに1974年12月13日には、イギリス連邦内のマルタ共和国となった。2004年5月1日欧州連合 (EU) に加盟した。


読みたい人は読んでください↑

簡単に

歴史上マルタを支配していた国。順番に。

イスラム帝国→スペイン→イギリス→独立。

ということで、英語なんだとわたしは解釈しましだか、あってますかね⁈