・・・・・私は今 河原に来ている。


身体はないが意識だけがある。 ちょうど夢の中のような感じ。


私は河原の上 地上2・・・3メ-トルの高さにいるようだ。


ここはどこだろう。 賽の河原 ??? ・・・・・


賽の河原ではない。 すぐに分かった。


ここは愛媛県松山市の郊外 横河原。


重信川という大きな川の河原。


よこがわら・・・・この名前は いつも私に何とも言えない気持ち


涙ぐむような感情を呼び覚ます。


ここは 子供の頃 { 3歳から6歳 } を過ごした思い出の場所。


子供の頃を思い出す時 田舎とか ふるさと という言葉を聞く時


いつも思い浮かべるのは この場所。


私は大阪生まれだが 横河原は 間違いなく


私のただ一つの ふるさとなのだ。


父は肺結核の専門医で国立愛媛療養所の医師だった。


結核は今ではほとんど忘れられた病名だが 当時 { 昭和20年代 } は


猛威をふるっていた法定伝染病で 各地に国立療養所があった。


私達は国立愛媛療養所の官舎に住んでいた。


結核病院は人里離れた場所にあり 周りは山の中だった。


隔離された場所だから遊ぶ仲間は少なく 官舎のわずかな子供と


患者さんや看護婦さんが遊んでくれる程度だったが


むしろ一人のことが多かった。


中でもその広い河原が好きだった。


みんなで散歩したり お弁当を食べたり 一人で遊んだりした。


この川と河原は 丸い石を拾って川の表面に投げて水切りをしたり


珍しい形の石を捜したり 水遊びをしたり 雪すべりをしたり


いろんな楽しみを与えてくれた。


その河原は非常に広かった。


・・・・つづく