歌謡曲フリークの私であるが、初めて。と、言うものは存在する。

初めて芸能人を見たのは、小学校2年生の時だった。

夏休みのお出掛けに『松坂屋』に連れて行って貰った時。この日は、屋上で歌謡ショーがあると言う。歌謡ショーの出演者は、ピンキーとキラーズであった。
まだデビュー前の無名のピンキーとキラーズ。父のせいで私たちは、歌謡曲をコソコソと愛でるしかなかった。
たまたま出掛けた松坂屋の屋上で、無名の新人とは言え歌謡ショーが開催されると言う。

もう、ワクワクしながら屋上に登った。記憶は薄いが、結構満席だった様な気がする。母と兄と私。着席してピンキーとキラーズの登場を待った。

プラスチックのベンチに座る私たち。

私の興奮はピークに達した。過呼吸で倒れそうだった。

ピンキーとキラーズは無名の新人とは思えない程眩く輝いていた。初めて生で見る芸能人。ピンキーは可愛かった。シルクハットとパンタロン。キラキラ光ってる。

私はすぐ眠りに陥った。


最後まで寝ていた。


母と兄が、「よく、あんなにうるさい中で寝られたね〜。」と感心していた。


この年。ピンキーとキラーズは破竹の勢いで、歌謡界を席巻した。出す歌は大ヒット。ピンキーとキラーズを冠としたドラマもバンバン放映された。

よくある現象だと思うが、まるで、自分の親戚が活躍をしている様な錯覚を起こしていた、母と兄と私。父には内緒。

ピンクのパンタロンも買った。小学校2年生に買ったパンタロンは、きっと高かったのだろう。裾上げをしまくり、私は5年生までそのパンタロンを着ることになる。よそ行きと言えばパンタロン。
そのよそ行きのパンタロンを着て、伯母の所へ遊びに行くことになった。
子供のいない伯母は、私を可愛がってくれた。私は伯母に、ねだった。

「レコードが欲しい。」

当時500円。私は、その時山本リンダに夢中だった。兄はそれをバカにした。そして兄は「アグネスチャンは、これから売れるよ」的な事を言っていた。

人に直ぐ影響される私は、お気に入りの山本リンダとアグネスチャンの「ひなげしの花」を買ってもらった。兄に褒められたかった。
山本リンダの「じんじんさせて」は、「どうにもとまらない」からの流れの三枚目のレコードだった。(筈)

伯母の家には、これまた厳しい伯父がいた。箸の上げ下ろしにもうるさいと言う伯父。その伯父が、てんとう虫のレコードプレーヤーで、レコードを掛けてくれた。


伯父の生きている時に話をしたのはこれが最後だった。

それ程関わりのない伯父だったけど、初めて買ったレコード。その初めて買ったレコードの音を聞かせてくれた伯父。

私の記憶の中では、繰り返し繰り返し出てくる。

伯父もビックリだろう。



家に帰り、アグネスチャンの「ひなげしの花」を兄に見せたら大層喜んでくれた。


こうやって、記憶を辿って行くと、私の歌謡曲人生には、随分身内が関わってるんだなあ。とシミジミ思う。


初めてカラオケの存在を教えてくれたのも兄だった。岡崎友紀の歌だった。
「この歌知ってる?歌える?」
と言って、聞かせてくれたカラオケ。

これは歌えないな。主旋律ないから。


カラオケとは、そう言うものだと教えて貰い、私は歌手の偉大さを知ったのだった。