※おじいちゃん
三郎さんは母にとっては舅の存在である。
私にとってはただのおじいちゃん。
私が生まれた時から三郎さんはいた。
私の記憶の中で、三郎さんは仕事から帰ってくる時に、私たち可愛い孫に、必ずお土産をポケットに忍ばせていた。
孫はおじいちゃん帰宅の時、これ以上伸びないかぐらい手を伸ばしてそれを所望した。
おじいちゃんはポケットの中からキャラメルを出した。
この記憶しかないので、もしかしたら一回だけなので強烈に覚えているだけなのかも知れない。
おじいちゃん。おばあちゃん。と言うものは、孫にとっては絶対的の味方であったと思う。
嫁姑とかそう言うものは分からない。
建築設計士の父親は兼ねてから夢であった自分の家を建てた。
今でも覚えている。
小学生に上がったその夏休み。
私と兄は母方の祖父母に1ヶ月も預けられていたのだ。
養鶏場を生業にしていた祖父母。
産んだ卵を収穫するのはとても楽しかった。
鶏には数字が付いていて、卵を産んだニワトリをチェックしなければいけなかったのに、ただただ収穫が楽しかった私は、卵を取り放題とって、兄に叱られた。
「これは何番から採ったの?」
私はすごく適当に答えた。
色んな夏の思い出は多分この夏に集約されていたのだと思う。
夏休みの間に家が建ち、二学期が始まる前に父親が設計した家に私たち兄妹は、母方の祖父母から両親の元に戻された。
父方の祖父の三郎もそこにいた。
おじいちゃんは、いつも大人しく新聞を読んでいた。
母親が、特に邪険にすると言う事もなく、平和に暮らしていたように思う。
しかし後年、七男の父親が、三郎の面倒を看るのはおかしいではないかと言う事で、突然長男が、三郎を引き取った。
引き取って、半年後に三郎は亡くなった。
三郎の遺産は、15年程同居した七男夫婦に渡る事なく、長男が相続した。
三郎は私の母の事がすごく愛おしかったのだと思う。
たかこと言う名前の母を
「たっこさん」といつも呼び、私たちと話する時は、「ママ」と呼んでいた。
三郎さんが我が家を去る事になった時、三郎さんは私に言った。
「遊びに来てね。遊びに来なかったら、おじいちゃんは化けて出るよ。ちいこ〜って幽霊になって来るよ。」
約束を守る事も出来ず、また両親の意向で葬式にも出られず、別れは永遠になった。
怖がりの私であったが、三郎さんが幽霊になって私に会いに来る事は無いと確信していた。
優しかったおじいちゃん。
ふんどし付けてたおじいちゃん。
たっこは信じられないほど元気で、まだまだ三郎さんに会えないと思います。
孫の私の方が先かもしれません。
その時はよろしく