いま僕は 森の唄 を書いているんだ

一昨日まで3日間
阿武隈川の源流にいって

ちょっとした合宿に参加してきた

その時に降りてきた唄


 …森へ 森へ 森へ還れば…


聴こえるかな?



世界はシステムである合宿

この合宿では

森の奥まで歩いて入って
それからは自由に木々や風
川の流れに身を委ねたり

スピリットに出会うための
アパッチ族(ネイティブアメリカン)の瞑想をしたり

夜月の下
1人ずつ森の中に置いていかれたりと

とっても豊かな時間を過ごせたんだけれど

最後の談話の時間に 
森の唄をみんなに聴いてもらって
歌ってもらえたことが

ぼくには掛け替えのない時間であることを
教えてくれた


 あぁ ぼくはこういう風に生きていきたい

みんなと自然を通して繋がって
みんなで唄を歌いたい


そう強く思った


ちなみに僕の出逢ったスピリットは
石抱の楢(いわだきのなら)と呼ばれる
岩の上に育った楢の巨木だった

1人1人が
呼ばれるままに森を歩いていけば
スピリットに出逢うんだってさ


だから
最後の談話の時に唄った 森の唄 も
きっとそのスピリットが生んだのかもなぁ

なんて思ってる


みんなと輪になって唄を歌うとき

真ん中にその楢の巨木が
炎のように美しい光を放っていた気がしたよ…


<—Re:ism—> 
#3 Spirituality 

ひなんちゅは昔からスピリチュアルな教育を受けているようだ

まず母親がものすごく敏感で
沢木耕太郎の『自然のレッスン』という本ががトイレに置いてあったり
動物占いのコーディネーターの資格があったり
ブレインヨガと呼ばれるヨガ教室には親子で通って
チャクラを意識してたり


ひなんちゅ自身も大学時代に
ニーチェの永劫回帰の思想に感銘を受けたり
合気道から東洋医学・神道にのめり込んだり
ツァイトガイストの動画をYouTubeでみたり
神尾学の『秘教から科学へ』を読んでいる

挙げ句の果てには
シュタイナー教育をドイツの大学に学びに行こうとさえ思ったそうじゃないか


自然科学への興味もきっと大きく影響してる



いずれにせよ
トルストイの『イヴァンの馬鹿』
『アミ 小さな宇宙人』シリーズ
『アルケミスト』…

映画でいったら
ジブリとか『アバター』好きな人には
きっと分かる感覚だろうなぁ



スピリチュアルなものを全く相手にせず
馬鹿にするだけの人とも出会ってからは(本の中でだけど)

結局は単なる洗脳で
人生の大半を一緒に過ごした母の影響なんだろうか

なんて疑問を感じ始めたひなんちゅは

積極的に疑うようにしてるつもりのようだが…

実際は
より深くその世界への理解を深めていることが

今回の合宿ではっきりしたようだね



世界について
すべてを知ったつもりにならず
謙虚に疑う姿勢は評価されるだろうとか

逆にソクラテスの言うような "善い生き方" を目指して
無知であることを無理やりにでも自覚しなくてはならないとか

そんな打算や恣意的な努力からは全く解放されたところで

スピリチュアルな世界観を肯定できたのは
森のおかげだろうか

いや
肯定したのは ひなんちゅ自身だ


自分の感覚を信じることにしたんだろう

うまく生きようとするのではなくて
信じたものを貫く人生を選んだのだね


これは 何に対する "返答" だろうか?


うーん
直近で言うと 今の音楽の師匠だろうけど

昔からずっとそういう人生に憧れていた

というよりむしろ
ひなんちゅは
そんな性質を持って生まれたのかもしれない



そしてその人生への"返答"が 森の唄 だったわけだなクローバー
ところでひなんちゅは(続く…)