※対談記録の中では、発言者の氏名を省略させていただきます。[天沼春樹さん⇒天 北見葉胡さん⇒ 東條⇒]

またライヴならではの臨場感を生かすため、各発言についてはなるべくそのままの形で掲載させていただきました。ご了承ください。


『僕らの絵本』

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(※以下は、記録①の続きとなります。)


さて、グリム童話は1812年から1857年までに7版まで出ました。ここから何がわかるでしょうか?」



「えーっと・・・ものすごく売れた!ということでしょうか?」



「正解!でも初版は残念ながら売れなくて、印税ももらえなかったんですよ。1812年にふたりはカッセルに居て出版し、(詩人の)ゲーテにも贈りました。ゲーテも礼状をくれました。「よくできたね。がんばってね」って・・お前が見てきたのかよって話なんですけど()ところがライマー氏ってのがいつまでもたっても印税をくれないわけなんです。」

「ライマー氏とは?」



「ライマー書店という本屋(版元)がありまして、電話をかけてもね、「この電話はつかわれておりません」とかね。」



「ああ、それはずいぶんとひどいですねえ。」



「電話に出ないわけですよね。・・・そりゃそうですよ。まだ電話が(世の中に)無かったですからね()



「あ!」



(会場 笑)


「ともかく手紙を書いたりして催促しても、「売れないからダメ」と。当時本は非常に高くて数万円しますから、グリム童話も56万もするような本だったんですよ。ですから裕福な人じゃないと買えないということだったので、そんなに売れ行きも良くなかった。そんな中なんだかんだ言われながら、ついに印税を取りはぐれたということなんですね。いまだによく聞く話ですけど()・・・



さて、しかしその時代というのは、産業革命がありました。子どもの服、子どもの部屋、子どもの絵本なんてものも作られるようになった時代だったので、「子どものための本」というものの需要も出てきた。その後グリムの本にも絵がつけられたりして、だんだんと人気も出てきて、ついに版を重ね7版にまでなるまで出されたというわけなんです。人気が出て、よく売れたんですよ。売れないものってのは、出版社も版を重ねないですから。自分の本でもこれは私、よくわかってますから()



「そうですね。」



「そうですねって、、、君!()



「いえ、一般的に・・という意味の「そうですね」です()



(会場 笑)


「ただね、グリム兄弟は「童話の人」というよりも有名になっちゃった事件がありまして。苦労してゲッチンゲン大学でようやく教授になっていたわけなんですが、ある時突然、国王が一夜にして憲法をひっくり返すというとんでもない「憲法事件」があったんですね。そこでヤーコブ・グリムたちが抗議文を書いた【ゲッチンゲン大学7教授事件】というのがありまして、これに弟のヴィルヘルムもついていったわけなんですが・・・結局大学も王のものですから、クビになっちゃったんです。即クビです。どこかの新聞社の社長みたいですね() で、国外追放になる。しかしそれは自由主義の時代。ドイツ全土から寄付金、義援金が送られてくるわけです。「よくやった!」「グリム兄弟えらいなあ」「童話だけの人じゃないんだ」ということで、非常に注目されたんですね。・・ここ重要ですよ。そこらのヘタレ教授に聞かせてやりたい!()大抵自分のクビがかかると「黙っていようっと」ってことになりますからね。」

(会場 笑)



「熱い兄弟だったんですね。」



「そう、熱い兄弟だった。本当は学者で、そんなに政治的な人間ではなかったのだけれど。」


(※記録③へ続く。)