※対談記録の中では、発言者の氏名を省略させていただきます。[天沼春樹さん⇒天 北見葉胡さん⇒ 東條⇒]

またライヴならではの臨場感を生かすため、各発言についてはなるべくそのままの形で掲載させていただきました。ご了承ください。


 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(※記録②の続き。)

「それから、その後・・これも大事な登場人物ですけど・・1844年にアンデルセンと会ったりしています。この件(くだり)をしろと言われているので()・・去年から4回くらい講演会をやっているのですが「この件はマストだからやってくれ」と言われているので、やります。


 グリムとアンデルセンは、世界の童話の2大柱ですよね。グリムが「ドイツの民話」、アンデルセンは「創作」。この2組は会っています。年はアンデルセンの方が
20歳ほど若いです。

1844年の秋、アンデルセンがグリム(兄)のベルリンにある家をノーアポで訪ねて行きます。当時ベルリン大学の教授であるグリム兄弟に、紹介状もなくノーアポで訪ねて行く。

「トントン」女中が玄関の戸を開けると、そこには見上げるような大男が立っていた。アンデルセンは身長が185センチあったんです。わたしが190弱ですから23センチ低いくらいかな。()

(会場 笑)

「その当時のデンマークの人の平均身長が160センチくらいですから、185センチは相当大きいです。さらにアンデルセンといえば25センチくらいある山高帽を被っていますから、2メートルの大男がドアのところに居るわけです。

女中はびっくりして尋ねる。「・・・どなたですか?」すると彼は名刺を出しながらヘンなドイツ語で答える。「グリムさんにお会いしたいのですが」と。 女中はグリム(兄)の部屋へ行き報告する。「ものすごく大きい人が来ているんですが、何を言ってるのかよくわかりません」 グリム(兄)は女中のさし出した名刺を見て、「アンデルセンか・・・パン屋かな?」・・・・・なーんて言ったわけではないのですが!()

(会場 笑)

「つまり、ヤーコブ・グリムはアンデルセンを知らなかった。弟のヴィルヘルムの方はアンデルセンを知っていたらしいんですけどね。

しかし傷つきやすいアンデルセンは、「ああ・・僕はやっぱりダメなんだ。『みにくいあひるのこ』なんだ・・・」と言って()がっかりしてデンマークへ帰って行った。

その数ヶ月後、「トントン」今度はアンデルセンのドアの戸が叩かれ、開けてみたら今度はヤーコブ・グリムが立っていた。「この間は失礼しました。うっかりしていて『即興詩人』のアンデルセンさんだとわからずに失礼しました。いま北欧を旅しているのですが、おわびのためコペンハーゲンヘ立ち寄りました」・・・って、「グリムいい奴じゃん!」という話があるんですね。」

「おわびの件は知らなかったです。律儀なお兄さんですねえ。」

「“The beginning of a beautiful friendship.”ということで、カサブランカみたいな友情が始まったわけです。()後に弟のヴィルヘルムも会ったりして、親交を温めたということです。

アンデルセンについてはまた別の機会に。「アンデルセンだけで 飯が3杯食える」ってくらいネタはありますけど。」

(会場 笑)

「もうひとつ紹介します。1848年に「フランクフルト憲法制定会議」がありました。国民議会をひらくにあたって憲法を作らなくてはいけない。この時にグリムも議員に選ばれて、憲法草案に次のような提案をしたんです。

『ドイツの国土はいかなる隷属もゆるさない。ドイツの国に入ったものはいかなる者も自由である』ということを高らかに謳い上げた憲法草案を出したのだけれど、時まだ早く、否決されてしまうんです。1848年です。アメリカの南北戦争でリンカーンの解放宣言があるのは、それよりも14年も後なんですね。グリムは早かった。しかしこのヤーコブ・グリムの草案が憲法に入れられたのは約100年後の1947年ですね。100年前のこの時代からグリム兄弟が望んでいた「のびやかな・自由な精神」こそが、メルヒェンの世界で「おおらかな子どもの心の糧」になっているのかもしれない。

皆さん、ここが、メモするポイントですよ!()

グリム兄弟には「子どもにはメルヒェンであそぶ自由な精神が大切。大人にだって、隷属されない自由な精神が必要。大学教育だってそうなんだ」というような発言が多いです。非常にリベラルな人なんですね、あなたがた・・・って上から目線ですけど()ですからドイツではこの二人、ただの学者じゃなくて「グリム・ブランド」的な。たいへん立派ということで人気があったのです。西ドイツと東ドイツが統一されたときに1000マルク紙幣ができたのですが、その顔はゲーテでもなければシラーでもない。グリム兄弟になったのです。この仲のいい兄弟が1000マルクの顔に・・10円札ですよ。それくらいドイツでは尊敬を集めていましたので、「グリムの童話なら安心だ」と。実は当時から類書もたくさんあったのですが、だんだん時間がたつにしたがって、この「グリム童話」だけが残っていったんですね。

だから今売れなくったって心配することはない!() 時間は、最大の批評家です。」

(※記録④へ続く。)