※対談記録の中では、発言者の氏名を省略させていただきます。[天沼春樹さん⇒天 北見葉胡さん⇒ 東條⇒]



『僕らの絵本』

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(※記録③の続き。)


「それではここで、〈なぜクリエイターたちはグリムを愛するのか〉〈グリムに挑むのか〉ということで、北見先生にご質問なんですが・・・」

「いきなりのムチャ振りだね()今の質問をもう少し噛み砕いて言うとね、「描きたい」と思うようなグリム童話のタイトルってあるじゃないですか。あれ、どういうところがいいんですか?例えばこれまで描いてこられた作品について・・・そういうことですよね?」

「はい。ええーっと・・・」

「あ、完全に気を抜いてましたね、今?」

「うふふふ()

(会場 笑)

「北見先生のホームページを拝見したのですが、岩崎書店さんから出されていますグリム絵本シリーズについて、ひとことずつコメントを寄せられていらっしゃいますね。例えば『ラプンツェル 』(※画像1 )、こちらに関しては「極悪と思われがちな魔女の溺愛からくる悲哀を描きたくて、ラプンツェルの部屋を、ぬいぐるみやおもちゃ、手刺繍のタペストリーで飾りました」とあります。ひとつひとつの作品に思い入れがおありになって、北見先生の解釈で描いていらっしゃるんだなあ・・ということを感じたのですが。」

「いろいろなグリムのお話があるのですが、『ラプンツェル 』は、画家の人がみんな一度は描いてみたいなあって思う世界だと思うんです。特にこの「塔に閉じ込められたお姫様」をモチーフに描かれている方はたくさんいて。私はお話をよく知らなかったんですけど、今回この絵本をやるにあたり一生懸命読んで、(それまでは)すごく怖いお話だと思ってたんですけども、そうではなくて、悪者に見えていたおばあさんの視点からみると、ほんっとうに溺愛していた娘を取られちゃった、かわいそうなおばあさんなんだな・・ということが見えてきて。そういったものも絵本の中に込められたらいいなと思って描いたんです。」

「(グリム童話で)とくに好きなお話というのは、北見先生はおありですか?」

「グリム童話って、わりとどれも奥が深いっていうか・・・(ひとつひとつの)「お話」という以上に「感じるものが多い童話集」と思っています。」

「グリム童話をモチーフにした作品は、同じ話をもとにして、文章もいろいろなパターンで書かれていますね。」

「(岩崎書店刊行の)グリム絵本シリーズに関しては、今日こちらにはいらっしゃいませんが翻訳の那須田淳先生が、「女の子の成長物語を書きたい」とおっしゃっていたんです。ですからどの巻も、始めは弱々しかった女の子がいろいろなことを経て最後は強くたくましく成長していく・・・という形になっていると思います。」


「・・・さあ質問です。グリム童話はいったいいくつあるでしょう?」


「えー?」

(北見先生に向けて)「先日も話に出したじゃないですか!」


(会場 笑)

「会場の皆さまの中で、おわかりになる方はいらっしゃいますか?」

「この中にはぼくの教え子もいるわけで、絶対に知っているはず。」

(会場 笑)

「ではもう先生に聞いてしまいましょう!グリム童話はいったい何篇あるのですか?」

200篇です。あと、プラス10に「聖者物語」というのがあって、合わせると210篇。211という説もあって。まあだいたい「200プラス10」です。しかしその中で有名な話というのはだいたい10個くらいなんですね、皆さんがパッと思い浮かぶのは。210の中にはとんでもなくつまんない話も()、似たような話もあるんですが。ただ『あめふらし』(※画像2)のような、ふつう絵本にはなりにくいような話もあって。つまり「発見」できる可能性が随分あるんですよ。」

「まだまだグリムの森はふかく、迷い込んだ私たち。もう出てこられないかもしれない・・・。」

(会場 笑)

(※記録⑤へ続く)


※画像1
『僕らの絵本』

※画像2
『僕らの絵本』