「短文コンテンツよりも長文コンテンツのほうがSEOに強い。だから長文コンテンツを書きましょう」と教えているコンサルタントや専門家が山のようにいます。私の心情をありのままに吐露すると、本当に愚劣だなと思います。彼らの啓蒙活動のお陰で、ネット上にはカルピスの原液を10倍に薄めたようなコンテンツが毎日のように増え続けています。

 

読んで分かる通り、私は長文コンテンツも、それを奨励する行為も嫌いです。理由は3つあります。

 

1つ目は、Google(媒介者)に媚びてコンテンツを作っているからです。コンテンツは本来、読む人のために書くものです。読む人のことを考えてコンテンツを作った結果、長文になるのは構いません。しかし、長文化することが目的になり、無理やり長文コンテンツを書く行為は読む人のためになりません。本来の目的を見失っています。

 

2つ目は、ネットの強みを潰す可能性があるからです。ネットにはいくつかの強みがあります。「情報が無料で手に入ること」「知りたい情報がすぐに手に入ること」です。長文コンテンツは、後者を殺します。10行で済む話を100行にすれば、読者が費やす時間が増えるのは自明です。

書籍にも「これ、20ページあれば十分だよね」と思うような中身スカスカなものがありますよね。書籍にするには、どうしても一定のページ数(文字数)を稼がなくてはいけません。そのため、20ページで済む話を無理やり10倍に膨らました書籍が一部あるのが実情です。ネットは、こうしたページ数や文字数の縛りがないため、簡潔に情報を伝えることができます。これは書籍にはできない、ネットならではの強みです。長文コンテンツは、ネットの強みと背反します。

 

3つ目は、コンテンツの劣化を招いているからです。コンテンツの価値は、少ない言葉でどれだけ多くを語れるかで決まります。これは絵や漫画、写真でも同じです(1枚に心情や状況、ストーリをどれだけ描けるか)。少ない言葉で伝えられる話をわざわざ長文化(劣化)させて伝えるなんて愚の骨頂です。

 

長文コンテンツの波が続けば、検索上位が劣化コンテンツだらけになってしまいます。まぁ、その前にGoogleが対策を取るでしょうし(もう取っているかもしれない)、または、AIに「情報収集(検索)の手段」の地位を奪われてしまうでしょう。(人工知能の未来は、「今後のSEO対策は、競合サイトだけでなくAIも意識しなさい」を参照してください)

まとめると私は、Googleに媚びてコンテンツを書く人が、真に読者のことを思ってコンテンツを書くとは思えませんし、ネットの利便性を損ねるので辟易しているということです。

 

さて、10年後のネットの世界はどうなっているのでしょうか。

 

 

 

 

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