OVA『ガンダムUC EP4』に私の好きなシーンがあります。今回の記事と通じるところがあるため、紹介しておきます。とある喫茶店での店主とヒロイン(オードリバーン)とのやり取りです。

 

店主「わしらの世代は、爺さん婆さんから昔の惨状を聞かされて育っとる。そりゃひどいもんだったらしい。それを何とかしたくて、人は連邦政府を作り、宇宙移民ってやつを始めた。貧乏人だけが、無理やり宇宙に捨てられたって言うやつらもいるが、望んで出て行った連中も大勢いた。地球の自然が元に戻るまで、もう帰らないと覚悟してな。それも、一年戦争でほとんど元の木阿弥になっちまったが……」


オードリー「救われませんね」
 

店主「まあ仕方ない。全て善意から始まっていることだ」
 

オードリー「善意?」
 

店主「連邦も移民も、もとは人類を救いたいって善意から始まっている。会社を儲けさせたり、家族の暮らしをよくしたいと願うのと同じで」
 

オードリー「でも、それは、ともすればエゴと呼ぶべきものになります」
 

店主「そうかも知れんがね、それを否定してしまったら、この世は闇だよ。自分を殺して全体のために働ける奴ってのもいるんだろうが、それはそれで胡散臭い。ネオジオンのシャアとかな。全ては人のためだと言いながら、隕石落としをやる。本当は人間を好きになったことがない男だったんじゃないかな」
 

オードリー「では、どうすれば?」
 

店主「さぁな、わしらにゃそいつが分からなかった。努力はしたつもりだが、結局はツケを先送りにしただけで、あんたたちに何もしてやれんことを悔いながら生きている。わしには、その一杯の珈琲を煎れてやるのが精一杯だ」

 

 

愛によって作られた格差社会を
理性によって克服できるのか

 

経営者や政治家は、自分の富(資産や権力)を子(男子)に譲りたいという欲求があります。歴史を振り返ってみても、古今東西、世の権力者はみな、子に富を譲ろうとしています。それはなぜなのでしょうか。

 

書籍『進化心理学から考えるホモサピエンス』(著 アラン・S・ミラー)によると、親が子(男子)に富を譲るのは「子の繁殖が有利になるから」だそうです。

 

この理屈は理解できます。確かに、富を持っていないよりも持っていたほうが女性にモテて、子孫を多く残せそうです。子が繁殖に成功すれば、親は自分の遺伝子を子々孫々、引き継がせることができます。この本能が未だ残っており、親は子に富を譲ろうとするわけです。

 

しかし富の引き継ぎは、階層の固定化ひいては格差社会に繋がります。格差社会は、日本のみならず世界が抱えている問題です。書籍『21世紀の資本』(著 トマ・ピケティ)では、格差社会の核心を突く主張をし話題を集めました。本書では「持てる者はより豊かになり、持たざる者はより貧しくなる。そして相続によって格差は広がる」といった主張を膨大なデータに基づき解説しています。

 

 

階層の固定化は、多様性を失う

書籍『エピゲノムと生命』(著 太田 邦史)によると、階層の固定化は多様性が失われ、社会の活力が失われるとしています。理由は、親が優秀でも子が優秀だとは限らず、また仮に親の才覚が子に遺伝したとしても、子の時代にその才覚が有利とは限らないからです。流動性が高いほうが社会的にも生物学的にも良いというわけです。

この話を聞いて、「なぜ人間は多様性が失われるような本能を持っているのか?」といった疑問を持つ人もいるかと思います。人類のみならず生物全般、種を残すためには多様性が不可欠です。

 

しかし生物の本能には「種を残す」とはプログラムされていません。「自分の遺伝子を残す」とプログラムされているのです。結果、子孫を多く残すことに繋がり、種が多様になるのです。別言すれば、「子に富を残そう」と考えるのは本能であり、「多様性を保とう」と考えるのは理性とも言えます。

 

 

格差社会は、上層階級にとっては美味しい社会

階層の固定化をしてきた結果が今の「格差社会」です。格差社会によりチャンスを平等に得られないとすれば、これも歴然とした差別と言えるのではないでしょうか。

 

2020年6月にアメリカでは黒人差別に端を発したデモ・暴動が起きましたが、その背景には格差社会があります。アメリカの場合、人種差別と格差社会は地続きです。アメリカがこの先どうなるかは分かりませんが、世界史を見る限り、格差社会を壊すのは革命か戦争です。

 

暴力的な手段を講じず、理性でもって格差社会をどう克服するのか、人類の大きな課題です。ただ言えるのは、格差社会の崩壊、または階層の流動性が高い社会は、少なからず上層階級にとっては不都合(脅威)だということです。穿った見方をすれば、教育にお金がかかるのは、下層・中間層が這い上がってこないようにするための仕組みと見ることもできます。

 

 

あなたは、本能に負けずに富を分配できますか?

さて、話を自分事に置き換えてみましょう。
仮にあなたが経営者だとして、事業と資産を子に譲りたいでしょうか? 先述した通り、譲りたいと考えるのは自然なことです。

 

しかし、必ずしも子が優秀だとは限りません。子よりも優れている人に譲ったほうが事業は発展します。そんなこと経営者だって頭ではわかっているはずです。それでも「息子よりもA部長のほうが優秀だな。じゃ、A部長に富を全部を譲るか」とはなりません。事業ならともかく、資産まで与えるのには抵抗があるはずです。どうでしょうか。

 

あなたは、「子に富を譲りたい」という本能を抑えて理性を優先させられますか。

 

 

兼愛を説いた哲学者 墨子

参考までに、東洋哲学者の一人、墨子の話をします。墨子は孔子(論語)が唱える「仁」を差別的な愛(偏った愛)と考えました。孔子は、親と子、上司と部下、国家と国民といった身内(仲間内)に対して「仁を大切にしなさい」と説いています。

 

それに対して墨子は、身内だけを大事にする考えは、それ以外どうなってもよいという考えであり、社会的混乱が起きる原因だと反論しました。そして、自分を愛するように他人を愛すること(兼愛)ができれば争いはなくなると説いたのです。

 

兼愛を行動に移したのが、ガンジーです。ガンジーは、息子に渡す予定だった学費を他所の男児に渡しました。おそらく、贔屓目なしで見た時に、自身の息子よりも彼のほうが才覚があると思ったのでしょう。これに憤慨したのが息子です。父であるガンジーとは絶縁状態になり、ガンジーが死去した半年後、路上で行き倒れているのが発見されました。差別をなくそうと活動し、世界を動かしたガンジー。差別のない「愛」は、一人の息子を不幸にしたのです。

 

 

 

まとめ

子に富を残したいと思うのは、本能(愛情)です。しかしそれが格差社会を生み出す一因にもなっているのです。もし「理性=本能を抑えて合理的に考える知力」と定義するならば、富を分配してこそ真に理性のある人間と言えるのではないでしょうか。「自国ファースト」を唱える国が、今後、自国の差別や格差とどう向き合うのか、他国に対してどういう態度を取るのか、そしてそれがどういう結果をもたらすのか、色々な意味で貴重な参考材料になると思います。

人類は、本能と理性、どちらを優先させるのでしょうか。これを機に、格差社会や事業継承について考えてみてください。